東郷槇山城―地域おこしと城山巡り(8)

東郷槇山城跡位置図一乗・東郷自然と歴史散策事業実行委員会政策によるマップを引用しました(一部改変)
東郷槇山城は福井市小安町の背後の丘陵、城山(標高122m)に所在します。
城山の山付き、北寄りに三社神社があって、その参道を少し登ると鞍部に出ます。この北側と南側の尾根線上に約470mにわたって曲輪が展開しています。

東郷槇山城天守台(南から)二ノ丸から天守台を望む
北半部は朝倉氏時代の山城遺構がそのまま残り、段曲輪が樹枝状に延びる支尾根に約20カ所にわたって並んでいます。
一方、南側の尾根には、天正年間に長谷川秀一の時代に修復されたとみられる、規模の大きな曲輪があって、北から本丸・天守台、二ノ丸、千畳敷の遺構が続いています。そのさらに南東には二重の大堀切があって、一乗谷、鉢伏山との遮断線を形成しています。

本丸、天守台の斜面には石垣を葺いた跡が遺っていますが、その他は埋もれた状態でどこまで石垣が施されているのか詳細はよく分かっていません。
天守台跡には城主長谷川秀一公の顕彰碑が立っており、二ノ丸は整備されて、トイレ・駐車場スペースとなっています。
その奥にある千畳敷は公園整備がなされて、芝生広場として利活用されています。千畳敷に取り付いている土塁には植込みのツツジが数段に亘って植栽されていますが、遺構を段切りしているのはいただけません。

東郷槇山城天守台天守台と顕彰碑
槇山城は昭和40年に福井市の史跡指定を受けていて、地元の保存会によって整備・活用が図られています。
槇山城へはJR九頭竜線で、大野に向かって輪行し越前東郷駅で下車します。そこから南に見える槇山まで歩いて5分。
三社神社登り口からは10分の行程で本丸・天守台に着くことができます。時間と体力に自信のある方はそこから千畳敷に向かい、二重堀切を過ぎて「槇山・御茸山遊歩道」を進むと古墳群のある御茸山、福井市少年自然の家、西山光照寺を見学できます。

一方、八地山から分岐して城戸ノ内町に下りると八地千軒、月見櫓、一乗谷中心部に着くことができます。槇山は一乗谷の史跡と連続して整備がなされているところで、是非とも時間をかけて、ゆっくり史跡巡りを楽しんでいただきたいものです。

自家用車でアクセスされる場合は、東郷の市街地の南端にある導入路を上って、先に述べた二ノ丸の駐車場まで乗り付けます。そこで下車して周囲を散策されるのも一興です。

東郷町並みと堂田川東郷町の町並みと堂田川(市街中心部から)
東郷の町は福井市街地から8㎞東にあって、足羽川が平野に流れ出る基部にあたり、また足羽川扇状地形の左岸、扇頂部近くに位置しています。徳江用水によって平野一帯に水を供給する一角を担っていることもあって、古くから要地として重視されてきました。朝倉氏の時代には、このことに加えて南北に街道が整備され、東西方向の美濃街道と交差する要の地点として経済的にも市や河川交通の津が立つなど栄えてきました。

特に長谷川秀一の時代には、短い在城期間でしたが、城下町建設も行われて、市街地のあちらこちらに町の様子を伝える字名や古地名が残っています。街道の中ほどに川が流れ、荷物の運搬はもちろん、生活用水としても使われ続けてきました。こうした町並みを街道町と言いますが、福井県内では他に若狭町の熊川宿の街道町や敦賀市疋田の街道町がよく知られています。

東郷、水郷の里パンフ東郷ふるさとおこし協議会制作のパンフ(表紙)
東郷の街道町の整備については、2013年11月12日付けの記事でブログアップしていますので、そちらを検索してください。韓国水原市から視察団が訪れ、歴史と一体になった街の整備、活用の実際をつぶさに見てくれたということです。
こちらも槇山城の城下町の見どころの一つになっています。
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若越城の会総会、一乗谷城見学

一乗谷城見学案内2017年5月21日城の会用 (3)2015年9月撮影
2017年5月21日(日)若越城の会の総会、及び一乗谷城の見学会が行われました。
当日は気温27度と、夏日の天気。

朝倉氏遺跡資料館(正面より)2朝倉氏遺跡資料館(入館者リーフレットから)
総会は議案書通りに、すべて採択されて平成29年度がスタートしました。
総会で話題になるのは、やはり会の老齢化と会費の徴収…。会員数が目減りしていく中で会員の参加もままなりませんが、会費の徴収も目下の維持、継続にとっては死活問題。

編集_2017年5月21日城の会総会 004資料館エントランスホール
マ、どこの同好会にも共通する話題ではあります。もっと、前向きに。
そんなわけで午後は一乗谷城へ登城しました。参加者は20名。新しい会員もちらほら見えている中での見学会。

編集_2017年5月21日城の会総会 008総会会場にて(資料館講堂)
城歩きマンは昔とったキネヅカ…、というわけで張り切ってご案内をさせていただきました。
特にありがたい、と思ったことは数年前から、山城の管理、整備が特に行き届いていて、葉っぱや、木の枝、ゴミなどがきれいに清掃されていることでした。
これはほぼ全山にわたって行われていて、とても気持ちよく見学することができました。

一乗谷城見学案内2017年5月21日城の会用 (1)
今回登城に参加された皆さんは、その多くが一乗谷城は初めて、という方がほとんどでした。そのせいか、皆さん熱心に曲輪や堀切、畝状竪堀の様子を見ていましたが、やはり、きれいに清掃が行き届いているので、説明もしやすく、見学者の皆さんも満足して帰られたのではないかと、案内する側もとてもやりやすかったと思います。

一乗谷城見学案内2017年5月21日城の会用 (2)
福井県を代表する山城でもあり、国の特別史跡の一部にもなっているわけですから、きれいに管理されて当たり前、と言えばその通りですが、数年前のことを思うと、格段に向上したなァと思われ、感無量です。
一乗谷城見学案内2017年5月21日城の会用 (5)
見学者の中からも、「何といっても一乗谷城は、ふくいの代表的な山城やし、これが先に出てこなくちゃねえ…と感慨深げでした。

一乗谷城見学案内2017年5月21日城の会用 (4)正面横方向に数条の畝状竪堀が見える
その意味でも今回の一乗谷城見学会は、ある程度成功と言っていいと思います。
以後は会員を増やして、多数の参加者で登りたいと思います。

成願寺城―地域おこしと城山巡り(7)

し成願寺城遠望001成願寺城遠望(足羽川堤防上から)
成願寺城は、一乗谷城のところでも触れましたが、福井市成願寺町の背後の山嶺に曲輪を連ねる連郭式の山城です。

『日本城郭大系』の「成願寺城」の項で、「朝倉盛衰記」の記述に触れて、成願寺城を一乗谷城の三ノ丸に相当する位置付けをして、東大味城を二ノ丸に相当する出城だとしています。

言い得て妙、の表現ですね。
ここから一乗谷城を真ん中にして「鶴翼の構え」という形容句が生まれたことも知る人ぞ知る話です。

成願寺城位置図「一乗谷・東郷散策マップ」(東郷公民館発行パンフより引用、一部改変)
先の記事で成願寺城は古墳群と重なっている複合遺跡だと言いましたが、もうひとつ、波着寺という中世禅宗寺院の寺域とも重なっている、三重の複合遺跡なのです。山城の中心曲輪がある山頂部分の南側中腹に寺跡の平坦部が遺存し、観音堂跡や鐘撞堂が確認されます。山麓の成願寺町の中ほどに波着寺・観音堂跡へ通じる鳥居が今も苔むした状態で残っています。

城跡は、尾根線に約1㎞にわたって延々と続き、篠尾町の地籍にまで及んでいます。もちろん、先に記した通り、この城跡は古墳群と重なっているため厳密に古墳と曲輪を峻別しなければならないのですが、おそらく、古墳の高まりも曲輪のひとつとして代用されたことは想像に難くありません。

この尾根線上に堀切、曲輪、土塁をもつ曲輪、竪堀、畝状竪堀などの遺構が約40ヶ所余り確認されています。一乗谷城の出城としては規模の大きな山城になります。
成願寺城の特徴は、本城である一乗谷城とともに畝状竪堀が施されていることで、中心曲輪の周囲に8条確認されています。
ここから、成願寺城が朝倉氏の重臣が城守として居城したこととも併せて、畝状竪堀が朝倉氏の築城技術の代名詞のように扱われる根拠のひとつになったものと思われますが、いかがなものでしょうか。

編集_IMG_20170520_0002_NEW - コピー『福井県の中近世城館跡』より引用、一部改変
成願寺城は地元の「波着寺を守る会」によって、寺跡とともに手厚く保存されています。ただ、山城全域にわたって見学道路が完備されているかと言えば、その辺りはまだ未整備部分も残していて、今後に期待したいと思います。
そのようなわけで、城跡の見学は波着寺、中心曲輪までの範囲で見学可能です。

また、成願寺町の隣、篠尾町、高尾町には篠尾館跡、高尾館跡など居館跡があったことが分かっていて、この辺りは一乗谷の城下町の一部に入っていたと思われます。篠尾館は前波九郎兵衛の屋敷、高尾館は朝倉氏に仕えた医師、谷野一栢の屋敷と言われています。

山城へは自家用車でアクセスする場合は、近くにある「酒生公民館」か「成願寺ふれあい会館」にお願いして駐車させてもらうようにしましょう。成願寺集落の中は道幅も狭く、駐車スペースはありません。
バスの場合は京福バスで大野線に乗り、「成願寺口」で下車して真っすぐ北が成願寺城です。麓まで歩いて5分ほどの道のりです。または篠尾・出作線で成願寺まで行って、そこから登城することもできます。

成願寺城へは入口の鳥居のある場所から30分ほどで寺跡に到着、そこから中心曲輪までは直近の距離です。道案内の標識もあり、迷うことなく登城できる状態になっていますが、やや傾斜の強い、急勾配の山道でもあり、雨上がりの時などは滑らないように注意が必要です。

一乗谷城―地域おこしと城山巡り(6)

一乗谷城見学コース一乗谷城登城ルート図(国土地理院地図を一部改変して使用しました)
一乗谷城へは、従来、三つの登城ルートが開かれていましたが、平成16年7月の福井豪雨によって、一番城山に近い、急登の登城ルートであった「英林塚コース」が土石流のために埋まってしまい、現在は使用不能になっています。

それで、2017年現在での登城ルートは北側から登る安波賀コース、城戸ノ内集落の八幡神社から登る馬出コースに加えて、三万谷の林道から分かれて尾根道を辿る「安波賀・三万谷コース」の3ルートが知られています。

編集_DSCF1627
以前から、山城の見学路は手入れが行き届かず、荒れた状態で登山者にも不便をかけていましたが、最近は看板・案内板の修復、見学道路の再整備が行われて、とても歩きやすくなりました。
安波賀町の山裾から登ると約1時間、城戸ノ内町の馬出から登ると約45分から50分、安波賀・三万谷コースからだと約30分で千畳敷へ着くことができます。

一乗谷へはJR線を使う場合は福井駅から出ている九頭竜線(越美北線)で、一乗谷駅まで乗り、そこから約5分で安波賀町の集落に着きます。三叉路のところから道案内の標識に従って一乗谷川を渡り、山道に入ると安波賀コースの見学路を通って、山頂部へ向かうことができます。

編集_編集_DSCF1667
また、安波賀を過ぎて、さらに約10分歩くと城戸ノ内町の「朝倉氏遺跡公園センター」に着きます。その東側山付きに八幡神社がありますので、そこから登れば山頂部へは一本道です。馬出、小城、小見放城を通り、中腹で摩崖仏を見学しながら千畳敷へ向かいます。

遺跡の中心、城戸ノ内へは京福バス・浄教寺線で行くこともできます。城戸ノ内町のバス停「公園センター前」で下車すると一乗谷川を渡って東側山付きが八幡神社です。そこから「馬出コース」で山頂部へ行くことができます。

自家用車で行く場合は、どのルートからでも登城可能で安波賀コースは福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館に駐車して、山城に向かいます。また馬出コースは朝倉氏遺跡公園センターに駐車することができます。
安波賀・三万谷コースの場合は、三万谷林道の中腹にある駐車場で車を停めて(概ね5台は駐車可能)案内板に従って登城してください。

2、30年前まではそうでもなかったのですが、最近はシカやイノシシ、クマの出没が多くなってきていて、山城へ登城する場合は注意が必要です。獣害だけではなく、ハチや虫刺されにも万全の対策をして登城してください。時期的に夏場の登城ではクマ鈴や携帯ラジオなどを鳴らしながら登ると効果的です。朝晩の薄暗い時間帯はなるべく避けてください。道に迷う危険もありますし、クマなどに遭遇する度合いも高くなります。

一乗谷城―地域おこしと城山巡り(5)

池田町梅田氏庭園他の踏査2016年11月13日 (1)旧美山町小宇坂にある小宇坂城(南から)
一乗谷城は規模が大きいと紹介しましたが、単に面積的に広い範囲をもっているというだけではありません。
この城を支えている支城、あるいは出城という防禦機能をもった山城が周囲にいくつも配置されていることも、規模を大きいとした理由になっています。

一国一城の主、越前国の大名の城ですから、当然、この城を防禦する城が築かれているのもまた当然の結果だろうと思われます。
北から成願寺城、東郷槇山城、東大味城、三峰城、東に小宇坂城が位置していて、それに該当するだろうと思われます。
それぞれの城には城番が置かれて、維持、管理されていたと思われます。

東大味町明智神社他2016年6月10日 (4)福井市東大味町にある東大味城と明智館の方角を望む
成願寺城は福井市成願寺町にある山城で、前波氏の築城と伝えます。足羽川の右岸、成願寺山の尾根線上に連続して曲輪が並ぶ、連郭式山城です。この山城には古墳群も築かれており、複合遺跡群と考えられます。同じ例は一乗谷でも確認され、一乗谷城の谷を挟んで向かい側の西の山嶺、八地山も御茸山から続く古墳群があり、複合遺跡になっています。

成願寺城は足羽川に沿って、平野側から侵入してくる敵をまず第一に防ぎとめる役割があったと思われます。本城の一乗谷城へ敵の動きを伝える城砦の役目も果たしていたものと思われます。

城主であった前波氏は朝倉氏の重臣の一人であり、城守が置かれて常に足羽川下流域と一乗谷周辺の警固に当たっていたものと思われます。詳細は別項で改めて述べることとします。

成願寺城遠望福井市成願寺町にある成願寺城(南から)
東郷槇山城は福井市東郷町小安にある山城で、朝倉氏の一族正景によって築城されました。また朝倉氏滅亡後、天正12年(1584)に秀吉の家臣長谷川秀一が越前に入部し、足羽郡と大野郡の一部を拝領して東郷に城下町を建設します。槇山城は修復が加えられ、城域の南半部は一部に石垣をもつ曲輪に変貌を遂げたものと考えられますが、現在、石垣は顕著には確認されず、多くは埋もれているものと推定されます。

一乗谷の西側、八地山と地続きになっていて、これも一乗谷城から月見櫓を経て、槇山城へは直近で到達でき、平野側からの敵勢の侵入を食い止める重要な役割をもっていたものと推定されます。詳細は別項で述べることにします。

編集_IMG_20170516_0001_NEW一乗谷城を中心とした出城配置図(国土地理院の地図を参照し、一部改変しました)
東大味城は福井市東大味の集落背後にある山城で、一乗谷の大手に通じる街道の入口に位置しています。朝倉氏の家臣、中村氏の居館跡が麓にあったことから中村氏が築城した山城と考えられますが、『朝倉始末記』等に登場するどの中村氏かは現在のところ不明です。
一乗谷城の築城と密接な関係をもつ山城とみて大過ないと思われます。

三峰城は福井市鹿俣町と鯖江市上戸口町にまたがる地籍にあって、一乗谷の大手口から水落、府中をにらむ要の位置に所在しています。
かつて、南北朝期には南朝方の脇屋義助、平泉寺衆徒らが斯波高経ら府中に拠点を持っていた北朝方と戦うために、この山城に立て籠もったと言われています。三峰城は別項でも詳しく紹介します。

小宇坂城は旧美山町小宇坂に所在し、足羽川が大きく蛇行して羽生川と合流する地点を見下ろす南側の丘陵上に位置しています。一乗谷城の位置から見て、搦め手の部分に当たり、大野、池田からの敵の侵入を防ぐ役割が与えられた山城ともなっています。
特に、足羽川上流域、池田荘から大野郡丁(ようろ)、牛ヶ原に向かう道筋を睨む重要な位置でもあり、確実に一乗谷城と一体となって機能した山城と言えるでしょう。