閑話休題――大願成就(その2)

2017年10月14日立山登山(8)後立山連峰、黒部湖方面雄山神社から黒部湖方面、後立山連峰を望む(右から針ノ木岳、蓮華岳、赤沢岳、爺ヶ岳などが見渡せる)
城歩きマンが20年若かったら、このコースで山頂を極めたかも知れませんが、今はとても無理。日帰りコースの雄山神社往復をとることにしました。多くのお年寄り夫婦連れや若いカップルの登山客はこのコースを選んでいるようでした。なかには小学生や保育園児かと思われるような小さな子供を連れた夫婦もいてビックリしました。

2012年10月15日立山室堂紅葉散策 (4)室堂散策道室堂センターから立山三山を見上げる
室堂センターを出て、一ノ越へ向かう舗装道路をゆっくり歩いて行ったのですが、やはり空は曇っていて、風がしきりに吹き付けてきます。30分ほどで一ノ越山荘へ着きましたが、風はどんどん強くなって、寒いくらいです。山荘の建物の陰に回って風をよけていないと、汗が冷たくなって気持ち悪いほどでした。
ここからは、急勾配の岩場をロッククライミング…。まさによじ登るような感じ。上から降りてくる人がひっきりなしで、すれ違いで道をよけるため、岩場の空いたところを探しながらよじ登ることになって。

2012年10月15日立山室堂紅葉散策 (3)浄土山室堂から浄土山を見上げる
風が強いので、手をついて四つん這いにならないと、体が吹き飛ばされそうで不安。
途中でやっぱり引き返そうか…、いや、やっぱり我慢して登ろう、いや引き返そう、何度も自問自答の繰り返し。
2017年10月14日立山登山 (3)一ノ越山荘雄山神社登拝道から一ノ越を見上げる
娘も風の強さに閉口したのか、引き返したらどう?と言ってくれましたが、何だか、ここまで来て帰るのはありえない――。次はないかもしれない、と思うと引き返すわけにはいきません。そうして、なんだかんだ言っているうちにも、どうにかこうにか雄山神社の詰所のような建物が見えてきました。

2017年10月14日立山登山 (4)大日山、室堂センター遠望一ノ越から室堂センター周辺を遠望
その建物の前に立った時の感動!
曇り空でガスがかかり、視界は曇っていましたが、まさに天空の蓮の台に立っているような感覚。ヤッタナァ――という達成感に包まれて感激でした。小さな祠があるところまで進んで拝観を済ませて下山しました。
2017年10月14日立山登山 (6)ミクリが池遠望一ノ越山荘からミクリガ池周辺を遠望
げに登山とはこういうものです。登るときはもう駄目、もう駄目と思いながら、下りるときはよかった、よかったと繰り返しています。

帰りの道は見下ろす目線になるので、登山道がよく見えて楽勝でした。風は相変わらず強く吹いていたのですが、もう、あまり気になりませんでした。上りと下りではこんなにも違うのか、と感心しながら室堂センターへの道を急ぎました。時刻は3時30分を少し回っていて、バスの時刻が迫っていたのです。

2017年10月14日立山登山(9)弥陀ヶ原ホテル弥陀ヶ原ホテル遠望(南から)
今日は弥陀ヶ原のホテルに一泊して、明日の黒部湖、黒部ダム見学のためにゆっくり疲れをとることにします。次の話、はあまりしたくないのですが、もし可能なら、今度はこれも麓までしか行っていない富士山頂に登ってみたいと思っています…?
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閑話休題――大願成就

2017年10月14日立山登山 (7)雄山神社、詰所立山三山、雄山神社遠望(東から)
平成29年10月14日(土)念願だった立山に登頂することができました。ほぼ絶壁に近い石垣で囲われた雄山神社(標高3003m)の鳥居をくぐり、拝殿にお参りすることができました。本当の山頂は大汝山(3015m)なのですが、これはもう立山三山を踏破する人の話。こちらの雄山神社に詣でることができれば山頂を極めた、と言っていいと城歩きマンは思います。

立山登山パンフ2014年発行分 (1)2014立山黒部アルペンルートガイドパンフより
閑話休題、本当は本筋の外れた余話はやめにして、本題に戻ることを言います。ですがここでは逆の意味で、ここらで少し一息入れて余談ですが…のつもりで、山の話をしてみることにしましょう。

立山登山パンフ2014年発行分 (3)周辺ガイドマップ(立山観光旅館組合発行パンフより)
大願成就!少し大げさですが本人にとってはまさにピッタリの表現。
これは、学生時代に(今を去ること45年ほど前の話ですが)白山に登って以来、次は立山…、と思い続けて長い年月が経ちました。家族からも立山に登ろうとせがまれて、いつかきっと立山の頂上に立ちたいと思っていました。

立山登山パンフ2014年発行分 (2)トレッキングマップ(立山観光旅館組合発行パンフより)
麓の立山室堂には5年前にも訪れています。そのときのことはこのブログでもとり上げて報告させていただきました。山の紅葉を見たいという家族のリクエストに応えて、はるばる立山にきたのですが、室堂までケーブルカーと高原バスの輪行による山行きでした。弥陀ヶ原や室堂一帯の散策コースを歩いて、高山の紅葉を楽しんで帰ってきました。

編集_IMG_20171016_0004_NEW立山雄山神社登拝コース(国土地理院地図より引用、一部改変)
それでも、立山への思いは消えずに、今度は娘のリクエストを断り切れず、ついにこの年六十?歳になって、立山の雄山神社登頂に挑戦することに…。室堂は標高2450m、頂上の雄山神社は3003m、比高差は550m以上。
普通ならこれしきの高さは何ともないのですが、年寄りの冷や水にならないか、内心はビクビクで億劫になっていました。それでなくても低山の山城歩きが体に堪えるようになってきたのですから。

2017年10月14日立山登山 (1)そうめん滝弥陀ヶ原、天狗平手前にあるゴシャメンノ滝(通称ソウメン滝、車中から撮影)
この日は週間予報で雨、時々曇り、という悪条件。気温も冬並みの10度以下。折から低気圧の移動でしきりに冷たい風が吹き続けていました。
2012年10月15日立山室堂紅葉散策 (1)大日山高原バスで室堂へ。途中、車中から大日連山撮影
お昼少し前に室堂に到着。ここで持参したお弁当を食べて、11時30分を回った時刻でしたが、娘と二人でいよいよ登頂開始。娘は30才を少し超えて、脂がのってきているのか仕事の合間の時間をこうしたトレッキングや山登りにいそしんでいる様子。数は多くありませんがアチコチ、福井県内の1000m級の山々を歩いています。まともに勝負したら負けそうな勢い…?

2012年10月15日立山室堂紅葉散策 (2)室堂センター室堂センターから立山三山を仰ぐ(中央の山並み、右端が雄山)
通常、立山の頂上を極める歩き方は、直登コースを往復するのではなしに、ミクリガ池を回って、雷鳥沢をたどり別山を通って立山三山である富士ノ折立、大汝山、雄山をそれぞれトレッキングして、この一ノ越へ下りてくるコースが選ばれています。
一泊二日の旅程で、一日目は雷鳥沢ヒュッテかキャンプ場で宿泊します。日の出を拝みたいときは剣御前小屋か内蔵助山荘まで歩いて、そこで宿泊します。<この項続く>
2017年10月9日文殊山城跡踏査 (14)大文殊御堂大文殊山頂部の本堂
楞厳寺の境内奥から少し登ったところは北山、大宅山古墳群が尾根上に遺存しています。この付近も山城の一部が重複しているものと見られ、北山、帆谷町へ通じる山道があって、現在通行止めとなって、大きな切通しが堀切状に遺存しているのが確認できます。

2017年10月9日文殊山城跡踏査 (7)文殊霊泉(水吞場)文殊霊泉(この奥の谷に水場)
文殊山城跡は参考図にも示しましたように、大文殊の山頂部を中心に小文殊、奥の院に広がる大きな規模の山城と考えて間違いないと思われます。小文殊と大文殊の間には文殊霊泉と書かれた看板があって、谷部に昔から水場として使用されてきた池があって、長期的な籠城戦にも間に合う造りとなっていたものと思われます。

2017年10月9日文殊山城跡踏査 (8)小文殊広場小文殊広場と標識
大文殊には階段状の段曲輪がめぐり、西、東、南の各支尾根に竪堀、堀切、畝状竪堀が刻まれています。畝状竪堀とされるものはいずれも堀が浅く、明確な竪堀は数ヶ所確認されるものの、畝状として連続する竪堀は明確には把握できませんでした。
2017年10月9日文殊山城跡踏査 (9)小文殊広場の天狗杉と御堂小文殊広場の天狗杉と御堂
今回は大勢の見学客があって、危険と書かれ、縄が張られていた範囲を超えてまで遺構確認のために斜面をうろつくのがためらわれたこともあって、北西部段下の部分の曲輪には行けなかったのですが、この範囲を含めると約250mの範囲が想定されます。

2017年10月9日文殊山城跡踏査(17)大文殊横の避難小屋の城跡説明板大文殊本堂脇にある避難小屋の説明板より
文殊山城跡は概して曲輪周辺の斜面が急傾斜で、尾根道も切り立っているのが特徴のひとつです。ですから、敢えてこれらの斜面に畝状竪堀が必要だったかどうか…。大文殊のまわりは特に急勾配で、横に巻くのにひと苦労しました。ここにも数条の竪堀に加えて、浅い形状ですが連続する竪堀が確認できます。特に東側斜面が分かりやすいです。ただ、この周辺は小さな山道が幾筋も切られていて、斜面の形状はあまり遺存状況がよくありません。
文殊山城跡遺構模式図文殊山城跡遺構図(参考文献より引用、一部改変)
遊歩道と大文殊本堂の建物との間に東側部分の大堀切があるのですが、遊歩道のために大きく抉られていて、ちょっと見には見過ごしてしまうほど、遺構状態は荒れていました。溝の間に間伐材の切株が遺されているのも少し気になりました。

2017年10月9日文殊山城跡踏査 (11)展望台横の灯篭石展望台から少し奥にある灯篭石(回りはシャガの群生地で立ち入り禁止)
小文殊は三ノ丸としての機能を持っていたようで、尾根に並行した広い平場が確認できます。
2017年10月9日文殊山城跡踏査 (12)第文殊手前の堀切大文殊山頂手前(東側)にある堀切
奥の院には北と東に堀切が確認され、城砦としての機能がもたされていたものと思われます。西側は巨岩が露出し、その岩が二重に堀切られた痕跡が伺え、ここも何らかの防禦機能がもたされていたものと思われます。中央に奥の院の祠が鎮座しています。周囲を踏査した後、腹も減ったので、ここで昼食にすることにしました。

2017年10月9日文殊山城跡踏査 (13)大文殊石仏群と御堂大文殊本堂手前にある石仏群
この奥の院まで来て、やはり大文殊ではゆっくり昼食をとれなかった人がいるようで、城歩きマンに少し離れた場所で、コーヒーを沸かす若い男性客と隣り合わせになりました。地元の人らしく、文殊山には何度も登っているとのことでした。

2017年10月9日文殊山城跡踏査 (18)奥の院手前の胎内くぐり胎内くぐりの岩
また、その後しばらくして岐阜県の若い夫婦を案内して登ってきた見学客3人とも出会いました。案内人の男性、こちらは少し老けた中年に見えましたが、城歩きマンがもっていた文殊山城の遺構見取り図をのぞきながら、いろいろと文殊山城のことを訪ねてきました。

2017年10月9日文殊山城跡踏査 (19)奥の院御堂奥の院の御堂(南から)
そこで城歩きマンは、この山が信仰だけの山だけではなく、お城の性格も持っている山だと話しますと、その男性はとても喜んで、実は私もお城に興味を持って山に登っていますと話してくれました。安居地区の下市山・安居城にのぼったというので、この近辺にはたくさん山城があるから、是非、そういう山にも登って下さいと答えますと、あなたはどういう人ですか、と聞かれましたので、城歩きマンのブログのことを教えて、ぜひ覗いてくださいと告げました。

2017年10月9日文殊山城跡踏査 (16)大文殊から見た福井市街大文殊山山頂から見た福井市街
その男性は即座にポケットからスマートフォンをとり出して、ちゃっかりとネットで城歩きマンのブログを確認したようでした。別れ際に、もっといろいろ山歩きを楽しんでくださいとエールを送って3人連れと別れました。
【参考文献】
青木豊昭2003「朝倉義景時代の山城――その縄張りの特徴と意義」『朝倉義景のすべて』新人物往来社刊
2017年10月9日文殊山城跡踏査 (10)展望台から見た福井市街文殊山展望所からみた福井市街(足羽平野)
文殊山城跡は信仰の山として知られる文殊山に築かれた山城です。本堂のある大文殊山頂部を中心に、奥の院や周辺の峰々に山城に関わる遺構が粗密の差はありますが、遺存しています。
こうした山城の在り方は県内の他の信仰の山にも見受けられ、勝山の平泉寺、丸岡の豊原寺、越前町の越知山などが知られています。何れの山にも山城が築かれ、信仰の山であるとともに戦いの舞台となったことも知ることができます。
城歩きマンのブログでもこうしたことに意を注いで、なるべく両方の意味が伝わるような報告にしたいと思っています。

2017年10月9日文殊山城跡踏査 (2)登山案内板大村町入口にある案内板
文殊山城を知る手掛かりとしては、周辺の遺跡、山城跡に目を向けることが大事な要件の一つとなります。
例えば、今年の春先に城歩きマンが踏査した文殊山の麓の北茶臼山城跡、文殊山の東側にある丹波岳城跡、従来からよく知られている三峰城跡、一乗谷城に近い東郷槇山城跡、遠くでは越前町の越知山城跡、冬野城跡、旧清水町の片山にある真光寺城跡等々が思い浮かびます。

2017年10月9日文殊山城跡踏査 (3)登山案内板楞厳寺の手前にある案内板(向かって右が登山口)
城跡の遺構としては、その規模に大小の差がありますが、いずれも中世に築かれた山城と考えてよいと思われます。鎌倉時代や南北朝時代に創築されたとの伝承をもつものもありますが、総じて戦国時代の終わりごろに修復して使用されたものが多数です。

戦国時代の終わりごろの越前の山城の様相には、様々な築城方法が見られて大変複雑です。また築城主にも旧来の朝倉氏一族とその旧臣、あるいは一揆勢力、そして主として尾張から侵攻してきた織豊勢力による修築が見られて、錯綜しています。

2017年10月9日文殊山城跡踏査 (4)楞厳寺本堂楞厳寺本堂(右に行くと登山口)
例えば越前と近江の国境線であった敦賀周辺の山城、杉津、河野浦に築かれた砦群には土塁囲み、石垣積みのものが見られ、若狭への入口であった美浜の佐田周辺にも土塁、虎口をもつ曲輪で構成された山城があります。
また、織豊勢力が侵攻してきた越前の要所々々には、例えば勝山の村岡山城跡、丸岡の雨乞山城跡などに土塁囲み曲輪、食違い虎口をもった曲輪が確認できます。また丹生山地の峰々に散在する砦跡や見張台的な山城にも土塁囲みの単郭構造の城跡が点々と確認されます。

2017年10月9日文殊山城跡踏査 (5)合流点案内板登山道はきれいに清掃され、合流点には標識が…
一方では朝倉時代に主流であったと思われる堀切によって区切られた曲輪を並べる連郭式の山城も数多くみられます。一乗谷城や大野の戌山城、永平寺の波多野城、旧南条町の杣山城跡などです。これらには畝状竪堀を伴うものが多く、特徴的な存在の山城となっています。
2017年10月9日文殊山城跡踏査 (6)登山道途中の切通し北山町との境界尾根線にある古墳群の間に大きな切通しが…、堀切か?
さて、文殊山城はどちらのグループに含まれるでしょうか?
2017年10月9日文殊山城跡踏査 (1)文殊山遠景(北から)福井市大田町から文殊山を仰ぐ
福井市角原町と鯖江市南井町にまたがる文殊山に所在する文殊山城跡について、順序が前後しますがここでご紹介します。このコーナーでは福井市のところで取り上げる予定でしたが、順番を飛ばしていました。改めて、(11)として文殊山城をご紹介することにします。

10月9日(月)天候晴れ、ひさびさに夏日を思わせる暑い一日になりました。この日、ふと思い立って文殊山城跡を踏査することにしました。

文殊山登山道と城跡位置図国土地理院地図二万五千分の一を引用、一部改変
文殊山城跡は、城歩きマンが約20年前に家族といっしょに登山して以来、ずっとご無沙汰していました。近くを通りかかったり、麓の楞厳寺(りょうごんじ)にはお邪魔していたのですが、城山を歩くのは本当に20年ぶりでした。当時の登城道(遊歩道)とはさすがに面変わりしていて、道は幅も太くなって、ゴミや草もなくて、歩きやすい遊歩道になっています。

文殊山フットパスマップ文殊山フットパスマップ(ここに紹介されている文殊山への登山口は今回城歩きマンが登った大村コースを含めて9カ所もあります。
「ふくい里山トレイル」として、この文殊山にいくつかある登山道が活用されており、この日は体育の日ということもあって、子供を連れた客でとても賑やかでした。城歩きマンにはもう微かな記憶になっていますが、山頂部までの道程がとても長くて、ヒイヒイ言いながら、やっとの思いでの登りきったことを思い出します。
当時はまだ、山城を本気でやろうとは思っていなかったこともあって、文殊山城跡としてまわりを見なかったと思います。お蔭さん(?)で、今回は山城としての文殊山をじっくり踏査することができました。

上文殊の歴史平成10年に刊行された文殊地区の地区誌
山頂部の大文殊本堂には家族連れの見学客がアチコチに屯して、時間もちょうどお昼時でとても賑やかでした。
その本堂の中に楞厳寺の住職さんがちょこんと座って、山の案内を兼ねて、客の対応をしていました。城歩きマンには久々の再会で、平成21年に『文殊山の生きもの』と題する本が刊行された頃に住職さんから、山が荒れて困っているので、この本を一冊でも多く皆さんに薦めてほしいと頼まれました。環境保護の観点でまとめられた本を見て、城歩きマンはふたつ返事でOK、何冊かを預かったのを覚えています。

文殊山とかたかみ平成11年に刊行された片上地区のPR本
住職さんのお寺は文殊山成就院楞厳寺と言い、もと泰澄和尚の開山の伝承をもつ由緒ある越前五山のひとつです。中世には17坊を数える大寺院で、平泉寺、豊原寺、越知山などと並んで勢力を誇ったと言います。
文殊山と生きもの平成21年に刊行された福井県文殊会の動植物に関する本
多くの僧兵を抱え、山内に城郭を築き、時の権力者に大きな影響力を持って政治に関与したと思われます。
文殊山にはそうしたことを物語る貴重な遺構が山内に多く残されています。山城跡もその一つです。