越前町織田城跡の踏査(2)

2017年4月13日織田城跡の踏査(ブログ用) (6)山頂部、林道の終点の山小屋から織田城のある峰を望む
4月13日(木)2、3日のインターバルを置いて山城の踏査に出かけました。
以前から、畝状竪堀ではない、放射状に郭の周囲に刻まれた竪堀をもつ特異な山城だということでとても興味を持っていました。

2017年4月13日織田城跡の踏査(ブログ用) (7)分かりにくいですが、主郭南東隅の堀切(この山城ではここだけ)
2017年4月13日織田城跡の踏査(ブログ用) (8)堀切の横からの状況(きれいなV字カットが確認できる)
具体的な根拠に欠けますので、なんともはっきりしたことは言えませんが、大きな竪堀が主郭部の回りを13,4条にも渡って取り巻く姿は、ある種異様な状況であり、越前の他の山城には類例がありません。文殊山城に少し似た部分(主郭の回りを竪堀が放射状に取り囲む)が見られますが、このように幾条もの巨大な竪堀が囲繞している例は他に見当りません。

2017年4月13日織田城跡の踏査(ブログ用) (9)山頂部南側の曲輪にある短い畝状竪堀(南東側から)
2017年4月13日織田城跡の踏査(ブログ用) (10)山頂部南側の曲輪と腰曲輪(南東側から)
今、巨大な竪堀と書いたのですが、それではどのような竪堀かというと、幅は概ね2、3m、深さは1.5~2m、長さは大小バラツキがありますが、概ね10m前後になります。
斜面に下りてみると、一見してこれは竪堀だな、と思えるほどはっきりした形状で、判断に迷うような紛らわしい形状ではありません。遺存度も大変良好です。

2017年4月13日織田城跡の踏査(ブログ用) (11)南東側の腰曲輪から北側の曲輪を望む
決して畝状竪堀のように連続する形態はとらず、一定の間隔を置いて、主郭部の回りを放射状に取り巻くように刻まれています。
これとは別に一ヶ所だけ、主郭部の東側部分に、腰曲輪を刻んだ短い竪堀が2条入っているのが確認できますが、それ以外は10数条もの竪堀が斜面を長く垂下しています。

2017年4月13日織田城跡の踏査(ブログ用) (12)山頂部南側曲輪にある水準点と平坦面
2017年4月13日織田城跡の踏査(ブログ用) (13)南側曲輪の東斜面の竪堀(倒木が堀に沿って横倒しになっている)
2017年4月13日織田城跡の踏査(ブログ用) (14)山頂部北側の曲輪から南側曲輪を望む
近江の上平寺城、小谷城の竪堀、規模の大きなものでは北九州直方市の鷹取城などが類似する例として挙げられるでしょう。

2017年4月13日織田城跡の踏査(ブログ用) (15)北側の曲輪にある竪堀(かなりの急こう配の斜面に竪堀を刻んでいる…)
大変稀有な竪堀で、貴重な例ですから、ここから山城の築城方法について得るもの大なりと言えそうです。
全体の構造としては南北の範囲約100mにわたって、標高296.9mの水準点のある山頂部に2基の曲輪が並び、この曲輪のまわりに竪堀が刻まれる。南西隅に堀切が1条あるが、それ以外には堀切はない。2基の曲輪のまわりに腰曲輪や段曲輪がいくつも取りつき、軍勢が駐屯できるスペースを確保しようとしているように見受けられます。
構造的には単純な造りとの指摘が先学の研究者によってなされていますが、その通りだと思われます。

今回も越前では他に見られない、珍しい竪堀をもった山城を確認することができ、その築城方法の多様性に素直に驚きを隠せないでいます。
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COMMENT 2

怜の父  2017, 04. 15 [Sat] 23:44

前々からこの織田城は絶対に行きたいと思っていたのですが、間違った山をうろうろした経緯がありました。
どこかでこの織田城が紹介してあって、藪に覆われて殆どわからないと書いてあったのですが、実際は見応え十分な遺稿が残っているみたいで、藪に覆われる前に行ってこようと思います。
「朝倉始末記」にこの織田城をめぐる攻防戦が記載されてあって、兵庫助が単独退去するまではびくともしなかったみたいですね。城主に見離されても家臣達は抗戦して守り抜き、結局講和により家臣達は退去して破却されたみたいですが、天正の越前一向一揆により落ちなかった朝倉旧臣の城はここだけだと思います。
大軍を相手に守り抜いた山城を是非とも堪能したいものです。
縄張りは単純みたいですが、放射状に配置してある竪堀が有効だったのでしょうか。
旧織田町の時でもこの城は全く取り上げてもらってなく、織田信長一族発祥の地をアピールしてましたが、もう少し注目して欲しい歴史的遺産でりますね。

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城歩きマン  2017, 04. 16 [Sun] 08:07

怜の父さん、コメントありがとうございます。

織田城を踏査する前に、麓の水田で田植え前の代掻きをやっていた農家の人に、少し話を伺いましたが、あまり、地元でも織田兵庫助の城跡があることを知らない様子でした。

農業用水の工事をしていた業者さんにも話をききましたが、20年ほど前に織田町の事業で「ふるさと遊歩道」を付ける事業があって山のお城を調査したことがある、と言っていましたが、こちらは石垣があったと言っていますので、別の場所かも知れません。

いずれにしても、織田城跡はあまり知られていない山城のようでした。城への行き先のことも人によってマチマチで、結局自分の判断で林道を長々と歩きました。

でも、結果はきちんと城跡を踏査できました。感謝。

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