鷹巣城と棚田オーナー制度

2003_0810_225743-DSCF0376.jpg鷹巣城跡遠望(写真中央)
南北朝期の騒乱をつづった『太平記』にも登場する鷹巣城は、福井市の西方、高須町の標高438mの山頂にあります。新田義貞の家臣、畑時能がわずかな手勢で立て篭もった城としてもよく知られています。
また『吉野拾遺』という書物にも、脇屋義助が語った話として「越前のくに、たかの巣の山はたかくそはたちて、城郭にしかるへきところなり・・・」と記されています。山頂に立つと坂井平野が一望に開け、眺めはすこぶる良好です。この山城は、以後の戦いの記録や、城主の名前もなく、南北朝期以後には利用されていないと考えられ、この時期の指標とみることができます。城跡の規模は東西約150m、南北約200mで、いまは撤去されましたが高圧の電線鉄塔が設置されていたところが主曲輪とされ、その周囲を2,3段の腰曲輪が巡っています。東側と北側に深く、明瞭な堀切が穿たれています。地元の高須町の努力により後世の改変を受けることなく、遺存度はたいへん良好です。
高齢化が進んで限界集落となりつつあるこの里山を、農業振興とあわせて守り伝えるため、地元では麓の緩やかな斜面を切り開き、あらたに棚田を整備し、オーナーを募る運動を数年前から実施しています。高須町のすぐ東側にはゴルフ場がつくられ、開発の手はすぐそこまで来ていますが、そうした中で、歴史と自然をうまく活用して守り伝えようとする熱意は高く評価されるべきです。
ただ、地元の人たちにひとつ要望したいのは、鷹巣城跡の範囲が山頂部だけではなく、麓一帯も含まれることです。棚田や農道をあらたに開発するときは、城跡の調査もあわせて実施してほしいものです。
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