福井県の、実態不明の山城について

福井県の山城
福井県、特に越前地方の中世から戦国時代にかけての、歴史上、著名な城として知られ、その存在が明らかになっているにもかかわらず、実体が不明で現在でも縄張図や現状の様子がほとんど分かっていない城跡があります。

冒頭の地図に掲げた城名はほんの一部です。城歩きマンがパッと思い浮かぶ城名であり、詳しくチェックすれば、もっと増える可能性があります。
なにが不明なのか?何故こだわるのか?

イラカ嵩城(坂井市丸岡町山竹田):先日のブログでも紹介したとおり、国境の城であるのに詳しいことが不明。

豊原寺のうち雨乞山城(坂井市丸岡町豊原):この城は柴田勝豊が丸岡城を築くまで居城した、とされていますが縄張や遺構の様子がほとんど不明です。

坂下城(福井市坂下町、永平寺町田畑):これも先日報告したとおり、柴田徳永が居城した城ですが所在地や詳細について混乱や、不明なことが多い城跡です。

大年高城(福井市大年町):先日ブログで紹介しましたが、南北朝期、斯波氏の家臣細川出羽守が築城したとされていますが縄張など一切が不明です。

鷲ヶ岳城(永平寺町栃原・勝山市北郷町坂東島):この城跡も南北朝期。太平記にも登場する著名な城ですが、所在地に石碑が立っているという情報以外は遺構の様子などはほとんど分かりません。

小宇坂城(福井市市波町):この城は一乗谷城の東側にあたり、美濃方面を睨む重要な場所にあたります。いわば搦め手の城ともいえる位置にありますが、詳細は不明です。

境寺城(福井市境寺町):この城は朝倉景鏡の居城跡と言われていますが、詳細が不明です。縄張も明らかになっていません。

牛ヶ原城(大野市牛ヶ原・勝山市大矢戸):鎌倉時代末の大野・牛ヶ原庄地頭淡河時治の居城と言われています。平泉寺の衆徒に攻められて討死する様子が『太平記』にでていますが、存外城跡や館跡などはほとんど不明のままです。

木本城(春日山城)(大野市木本):このもとじょう、と読みますがこの城は慶長6年(1601)結城秀康が越前に入城したときに、大野木ノ本に5000石をもって封じられた加藤康寛の居城跡とされています。この城跡も近世初期の越前の支配関係を考える際には重要なものと思われるのですが、実体はよく分かっていません。

三留城(福井市三留):朝倉氏の家臣で同名衆の朝倉景冬の居城跡と言われています。その息景信は信長に寝返り、一揆に攻められて滅亡しています。朝倉氏滅亡後の天正2~3年にかけての越前の戦乱状態を考える際に重要な城の一つですが、詳細は不明です。

真光寺城(福井市片山町):中世寺院として知られる「真光寺」跡と重なる部分もあるかと思われますが、戦国時代末に富田長繁の家臣増井甚内介が居城したという城跡です。近年「片山真光寺跡」の発掘や石塔関連の調査も行われ始めていますが、城跡についてはまだ詳細は明らかになっていません。

清水畑城(福井市清水畑町):平安時代末斎藤別当実盛、その息実員が木曾義仲らと戦うために居城した、と伝える城跡です。標高133mの山頂にある、とされていますが、それ以外は不明です。

武衛山城(越前市余川町):「武衛」とは将軍をさす中国式の呼び名です。長録3年(1459)斯波義敏が一時期居住したという鞍谷館(鞍谷御所)が良く知られています。しかし、この武衛山城が果たして義敏が築城したものかどうかは疑問視されてはいますが、城自体の内容もよく分かっていません。登城道をのぼると「一ノ砦」「二ノ砦」「三ノ砦」「主郭」など案内板が立っているそうです。縄張図などを一日も早く公開してほしいと思います。

城歩きマンの勉強不足で、実はもうとっくに分かっているんだということでしたら、ぜひ教えてください。これからひとつ、ひとつ自身で歩いて城の内容を確かめていきたいと思っています。どうかよろしくお願いします。
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