坂井市丸岡町豊原寺・雨乞山城跡の踏査

雨乞山城遠望豊原寺雨乞山城跡遠望(西南から)
4月22日(月)坂井市丸岡町豊原寺にある雨乞山城跡の踏査を実施しました。
福井県遺跡地図には№13083の山城として記載されています。北陸自動車道丸岡ICから1.5㎞東の標高215m山頂部に展開しています。

『越前国城跡考』には「雨乞山城跡」として「時代不知 小黒村ヨリ二十町計艮方山上七間ニ十間計之所七間四方之所掻上形有之、自福井四里」と記載されています。
また『日本城郭全集』では「豊原寺と豊原三ヶ故城」として、豊原寺に関する山城をとり上げていますが個々についての説明はありません。
しかし、『福井県の地名』には『越前国類聚国史』を引き合いにしながら、柴田勝豊が居城とした山城を三上山城ではなく、雨乞山城が妥当であるとしています。

雨乞山城堀切・土橋雨乞山城主郭部堀切・土橋
この山城は天正年間に信長方が越前をはじめ、加賀や越中制覇を目的に侵攻した時期の築城形態、戦闘の実際を明らかにする重要な位置にあると思われます。

にも拘らず、山城の遺構配置状況、いわゆる縄張の様子はこれまで明らかにされてきませんでした。天正4年の丸岡城築城の前身といわれる山城の内容が、何故追及されて来なかったのでしょうか?
現在まで、福井県内の城郭に関する論考や全集物には全く記載がありません。豊原寺は中世以来、山岳寺院として僧坊が建ち並び、僧兵がこの寺域を守るために様々な防御を施していたことは想像に難くありません。
それらの一つが山城であり、豊原三ヶ故城として名前が残っているのでしょう。

これは白山平泉寺でも同様な事例があり、3~4か所の山城、砦跡が平泉寺坊の周囲に残っていることが確認されています。

雨乞山城主郭部南側堀切雨乞山城主郭部南側堀切(南より)
豊原寺・三上山城はかつて旧丸岡町と福井県が史跡指定の予備調査として発掘調査が実施されたときに、一部試掘が行われ、豊原寺の墓域であることが確認されました。
また二つ目の西宮城は豊原寺の正面、入口に位置していましたが、近年の開発のために一部が削平されたため全容を把握することが難しいようです。
三つ目の雨乞山城は開発などで荒らされた形跡はないのですが、逆に識者からは見放されていたようで、詳しい踏査や実測、縄張調査は行われていません。

この点が城歩きマンには理解できないことで、先日のブログにもとり上げましたが、重要な山城であるにも拘らず、実体が不明な山城の一つに加えられたのでした。

さて、前置きが長くなりました。雨乞山城は標高215mの山頂を中心に全長約500mにわたって尾根線上に築かれた連郭式山城です。堀切は6か所に穿たれ、主郭部の曲輪群には土塁が巡っています。また、そのうちの一つの曲輪は食い違い虎口が明瞭に見られ、曲輪の斜面部はきれいな切岸となっています。

主郭部南側にある堀切は堀底との比高差が10mにも達するかと思われるほど深く、鋭く切り込まれていて、やはり織豊勢力の所作と思わせるに十分な山城の一例だ、と感心しきりの城歩きマンでした。
スポンサーサイト

COMMENT 0