勝山市三室山城跡の踏査

三室山城跡遠望
勝山市三室山城跡遠望(西から)
4月23日(火)、昨日の丸岡町雨乞山城跡の登城の疲れもとれていないのに、季節の移り変わりの早さに急かされて、一つでも登っておきたい、という衝動にかられていました。

ふと、勝山市の遅羽町ほう崎にある三室山城跡のことを思い出し、急遽登城することにしました。
この山城は、朝倉景鏡の家臣であった島田将監によって築城されたと言い、、朝倉氏が滅亡した後には「朝倉恩顧」の武将として、一揆勢力の先頭に立ち、織田方に寝返った武将の攻撃に奔走しました。

勝山市の西光寺城跡も島田将監の築城といわれ、保田集落と西光寺集落の間の丘陵先端部に今も良好に遺存しています。西光寺城の特徴は畝状竪堀といわれ、主郭の周りにびっしりと畝状竪堀が巡っています。

三室山城も同じ武将によって築かれ、やはり畝状竪堀があると言われていました。しかしながら縄張図や遺構図が公表されていないため、その詳細は不明でした。

そこで城歩きマンは早速勝山の三室山城跡まで出かけたのでした。
そして、大成果を得ることができました。標高176.2m、比高差にすると約40m程度の小さな独立丘陵で、昔、縄文時代の住居跡が発見されて話題になりましたが、まさか、こんな立派な山城が残っていようとは思いもよりませんでした。

春日神社のうしろの斜面からつづら折れになった見学路をのぼると、入口付近は多少削られた形跡はあるものの、虎口状に低い土塁がめぐり、主郭部の西北の緩斜面から東側の斜面に6~7条の畝状竪堀がしっかりと巡っているではありませんか。全長約100mにも満たない主郭部の曲輪のまわりにこんなに明瞭な畝状竪堀があるなんて・・・。
うっかり見過ごしていた自分がとても恥ずかしくなり、どんな小さな山城でも謙虚に踏査すべきだという思いが去来した一日でした。
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