大野市木ノ本城(春日山城跡)について

三室山城跡より平泉寺を臨む
三室山城跡より平泉寺を臨む(今日の話には直接関係しません)

先日のブログで取り上げた実態不明の山城のうち、大野市木ノ本城(春日山城)について訂正の話をとりあげます。

大野市木本領家にある木ノ本城(春日山城)は、先日のブログで近世初期の越前で結城秀康が入部してきた折に、大野の木ノ本5000石をもって封じられた加藤康寛が築城したが、城の規模や実態など縄張の詳しいことが分かっていない、と言いました。しかし、地元ではちゃんと踏査されていて、さっそく訂正を付け加えることになりました。

昨日のブログで『山城は語る』という大野市「小山荘歴史の会」が出版されたガイドブックの中に、「春日山城跡」としてこの城跡が紹介されていて、地元の有志の方が調べて、現地の状況を絵図にして記録されているのです。

規模や寸法のことまでは分かりませんが、木本領家集落の、清滝川をはさんだ右岸の緩斜面、「高於盤座(たかおいわくら)神社」の少し上手にあり、堀切、曲輪が並び、中央部に腰曲輪を伴う主曲輪が築かれ、それらは土塁、横堀、搦め手には三重堀切が連続して刻まれるという本格的な作りであるとしています。

現地を直接確認し、もっと詳細を見て歩きたい、と思いました。恐らくは真名川を下って(あるいは笹又峠を越えて)大野平野に入り、ここから足羽庄、池田、今立方面へ向う交通の要の役割をもち、また宿場町を形成していたといいます。

この城の麓に城主の居館(加藤宗月館)があったとも言い、小字名に「御殿」、「御殿町」、「代官町」、「茶屋出」、「荒子町」、「中村町」、「遊女」などがあり『福井県の地名』では一時期城下町が形成された名残であろうとしています。

この城跡は福井藩3代藩主松平忠昌のとき、寛永元年(1624)木本25,000石をもって分知された松平直直の居城跡とされ、中世の山城を修築したものと考えられています。

近いうち城歩きマンは必ず木ノ本城(春日山城)について、精査するつもりです。
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