高尾山白山神社だんごまつりと野津又城

野津又城遠望(西から)野津又城(深谷城)遠望(西から)

高尾山だんごまつり野向町まちづくり推進委員会のチラシ
4月29日(月)昭和の日に勝山市野向町深谷にある高尾山白山神社の例祭、「だんごまつり」に出かけてきました。

この地区で毎年、この日に行われているまつりです。深谷地区の北にある標高527mの山に祭られている神社へ登頂し、神事を執り行い、その後団子を食べながら今年一年の無事を祈りながら、会食を共にするまつりです。ここ最近は地区だけでなく、広く参加者を公募して、和気あいあいのうちに登山を楽しむ嗜好となっています。

高尾山白山神社例祭高尾山白山神社の例祭風景
この日は地区の子供会も40人ばかりが参加していて、大変にぎやかな山登りでした。

城歩きマンは、たまたま野向公民館で教えてもらったとおりに出かけてきたのですが、地区の皆さんとご一緒することになり、楽しい思い出になりました。

野津又城堀切(東端)野津又城(深谷城)東端にある堀切
ザックに入れて持って上がった昼食のおむすびを食べ、その後、さっそくこの城跡の遺構見学をしました。遺構はほぼ山頂部に集中していて、歩きやすい山城でした。

『勝山市史』などに掲載されている遺構図を参照しながら、山頂部周辺を歩いてみました。神社の祠は山頂部のほぼ中央部にあり、平坦部が広がっています。この東側に堀切が2か所あり、手前側の堀切は北側斜面に畝状竪堀が7条刻まれています。

堀切と堀切との間の細い痩せ尾根を利用した曲輪には、地山の岩石が露頭していて、人為的に石垣を組んだのかどうか疑わしいのですが、部分的にそれらしいところがあって、とても気になりました。

天正3年(1575)織田信長が再度越前に侵攻してきたとき、加賀の一揆勢とともに信長に抵抗を続けた越前一揆の築いた山城です。大坂の本願寺顕如から「野津又城」に立て籠っている門徒に対して、励ましの文書が送られていることが分かっていて、この城跡は確かにこの時期に築かれたことが明らかな山城です。
野津又城は無駄のない、非常に効率のよい陣城に仕上がっています。よい勉強をさせてもらいました。
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