福井県大野市の山城分布の特徴

大野市主要山城分布図大野市主要城館分布図
大野市にある山城や館跡は2,3か所を除いて、だいたい踏査しているのですが、大野市域の山城はなにぶんにも高い山の上に築かれているものが多く、また山中深く奥に分け入って築かれたものも多々あります。

大野は山国なのですから、当たり前なんですが、さぞやこうした城郭を築いたところは、その維持・管理が大変だったろうな、と気遣ってしまいます。

大野は地理的に見て、北は加賀国、東は飛騨国、南は美濃国に接しています。標高1000mを超す山嶺にさえぎられていて、ここを通って隣国に入るには大変だったと思います。このまま、天然の要害になっているので、それほど堅固な防御の施設は不要だったろうと思います。

実際、国境線上には城郭は一つもありません。峠道を随分と降りてきた街道筋、間道の要所に築かれている例が多いようです。
江戸時代に口留番所が置かれたという、勝原城や江戸時代の初期の頃におかれた木本藩の木ノ本城(春日山城)、あるいは室町時代の斯波氏が築いたという左開城(神明山城)などが例に挙げられると思います。

これが大野ではなく、敦賀のほうでは織田信長が越前に侵攻してきた天正年間の戦いや、柴田勝家と秀吉との戦いでは文字通り、国境線をはさんで城郭が築かれ、戦いが繰り広げられました。

いまひとつ、大野市域の山城が広く知られていないこととして、先日来からブログでとり上げている木ノ本城をはじめ、勝原城や左開城、分布図には載せませんでしたが「クタラキ城」、「独小山城」等の城が築かれた意味合いについて掘り下げてみる必要があります。

越前、ことに大野と隣国の美濃や飛騨との往還にはどの道が使用されたか、それは時代の流れによってどのように変化したのか、など明らかになっていないことだらけです。これが明らかにならない限り、例にあげた城郭の意味は理解されて行かないでしょう。

木本領家にある木ノ本城(春日山城)が築かれた意味合いも、ひとえにこの問題と軌を一にしています。木ノ本城は美濃との交通の要衝に位置していたという意味をもっと掘り下げていきたいと思います。
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