大野市木ノ本城(春日山城)の踏査

木本・銀杏峰遠望木本・銀杏峰遠望(北東より)
5月7日(火)大野市木ノ本城(春日山城)を踏査しました。
木本領家の集落から、清滝川を挟んで、南側の緩斜面の水田が山裾につきるあたり、杉林に囲まれて高於磐座神社があり、すぐその後ろが城跡になっていました。

木ノ本城遠望(西南から)木ノ本城遠望(西南から)
標高296mの山麓の高台、といったところでしょうか。比高差は20mほどです。神社の拝殿のすぐ後ろから山城の遺構になっていて、近年の神社の整備や作業道の掘削で、その一部が削られたような痕跡がありました。

高於盤座神社高於磐座神社の入口
高於磐座神社は式内社で、城跡は境内を取り込んで低く、細い尾根をおよそ100mほど囲い込んで山城としているようです。

木ノ本城堀切主曲輪北側の堀切
遺構の概略は、尾根線に沿って南北に段曲輪2か所、二重堀切、土塁、主曲輪、土塁、櫓台、腰曲輪、竪堀、三重堀切、平坦地等々、と続きます。
櫓台と思われる高まりが主曲輪の南端に取り付いています。石垣が葺かれていた痕跡が見受けられます。
三重堀切は主曲輪を囲うように湾曲しながら、西側に回り込んでいます。腰曲輪は主曲輪の左右両側に取り付いています。主曲輪の南側堀切は障子堀になっている可能性があります。

このように、木ノ本城は遺構の遺存度が大変すばらしく、曲輪や堀切の斜面は鋭角的に鋭く削られています。
『福井県の地名』では、松平直良が寛永年間に中世の山城を修築して居城したとしていますが、これはむしろ、慶長年間に加藤康寛(宗月)が入部してきたときに修築したと見るべきだと思います。

いずれにしても、分かり易い、そして遺構の遺存度が大変素晴らしい山城だと思います。「小山庄歴史の会」の『山城は語る』に書かれているとおり、少しでも手を加えて見学者のために整備すれば、もっと素晴らしい郷土自慢の史跡名所が増えることでしょう。
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