鎌倉時代の城館について・その2

家久中世墓越前市家久遺跡(中世墓)

南井町実盛塚鯖江市南井町実盛屋敷

先日、福井新聞講座に関連して福井県内には平安時代末から鎌倉時代にかけての城館が40か所もある、という話をしました。今回はその第2弾です。

中世の城館という場合、いつから築かれるようになったか、という発生の時期についての問題がよく取り上げられます。そして、鎌倉時代の城館、と言うとせいぜい屋敷、居館というイメージしかなくて、城郭遺構の話はあまり類例が多くない(残っていない)のが実情です。しかし、「伝承」「記録」の世界では福井県でも何十ヵ所もある、という…

これらのことの真偽を確かめる一つの方法に「考古学」があります。

越前市の西方、家久町、上・下氏家町、片屋町あたりには平安時代の中頃から鎌倉時代にかけての居館や山城が多く残っていると言われる場所です。ですからこのあたりは古い時期から開発が進み、荘園が成立していたことが分かるのですが、これを実際に遺跡の調査成果からみると、一つの例が家久遺跡の「墓地」遺構になります。

平成4年に区画整理事業の事前調査で水田を掘ったところ、土中から武士の墓と思われる「礫郭墓」が見つかったのです。墓の中からは12世紀の後半頃に作られたと思われるカワラケや烏帽子、刀、鏡、墨・硯などの文房具などが出土しました。

もう一つの例は鯖江市南井町の南屋敷というところから、古い時期の蔵骨器と思われる壺や甕がたくさん見つかった例です。この発見はもうだいぶ昔のことで、昭和54年という、34年も前の話です。墓地を造成中に思いがけず出土したということです。
22か所に亘って火葬された骨が入った壺や甕、その他中国陶磁器、瀬戸焼、加賀焼の碗・皿類が合計35点出てきました。これらの年代は概ね13世紀代の前半頃とされています。

家久遺跡には近くに多田摂津守満仲の三日延山城や、美丈丸館があるとされ、また南井町の南屋敷は50m離れて実盛屋敷の伝承地がある、といわれます。そのものズバリの遺跡ではありませんが、限りなく鎌倉時代の伝承にそった状況証拠といえるでしょう。
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COMMENT 2

midorishako  2013, 06. 06 [Thu] 21:43

お城といえば、戦国時代というイメージでしたので、鎌倉時代にも城郭があったというのは驚きで、どんなものなのか大変興味深いです。
先の記事の地図を見ると、武生から南条のあたりでしょうか山から里にかけて多く分布しているのも興味深いです。九頭竜川の中流から下流あたりには少なくて、今の福井平野は、当時は氾濫ばかりで水田には向かない土地だったのしょうか。どこかのお寺の荘園があったように聞いていますが、城郭はなかったのでしょうか。

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城歩きマン  2013, 06. 07 [Fri] 07:24

midorisyakoさん、コメントありがとうございました。
鎌倉時代に、すでに城郭はあったのか、大きな課題です。
平家物語や、吾妻鑑、源平盛衰記などにも「城」という言葉は出てくるのですが、実体は分かっていません。
福井市域では木曾義仲の城館、山城がいくつか知られていますが、いずれも伝説上の扱いで、実体は不明、ということになっています。
鯖江市南井町や坂井市丸岡町には斎藤別当実盛の屋敷跡があるそうです。いつか、考古学の発掘ができれば、とも思います。

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