若狭本郷・達城を踏破す!

達城遠望(北から)達城北端部(手前は佐分利川)
6月16日(日)梅雨の最中だというのに、気温30℃を超す暑さのなかを達城に登城してきました。
おまけに、昨夜は久方ぶりの雨が降り、山はまだ雨が乾いておらず、葉っぱも濡れていて、滑ること、滑ること…。
おかげで、履いていたズボンは泥だらけ。肘はすり傷だらけになりました。しかし、そのかいあって一番奥の山頂部(標高113.8m)まで、無事踏破してきました。

この山城の一番印象に残る遺構は、なんといっても北端部の長応寺さんがある「出丸」部分でしょうか。
背後の二重堀切、その南側斜面の竹やぶの中にこれぞ畝堀、といわんばかりの典型的な畝状連続竪堀が3条並んでいることでしょう。
幅約3m、長さはゆうに15mを超えるでしょう。深さも1mあって、はっきり残っています。二重堀切が竪堀となって南斜面に延びているので、これも畝状竪堀とみると5条となります。
達城・畝堀
畝状竪堀を東斜面からみる(右手上方に長応寺の建物が見える)

達城・主郭部
最奥部の山頂にある主郭部平坦面。(東から)中央には忠魂碑がたっている。

本郷・日枝神社
達城の西にある日枝神社の境内。大山昨神を祀る。
この日枝神社の南に字「館」があって、『福井県の地名』事典は「同寺の由緒書によれば、元亨2年(1323)に、元の僧明極が建立。字名の館から天文22年(1553)頃、本郷泰茂の築城と伝える達城の館として建立され、城館としての役割も備えていたと考えられる」と記しています。「たちじょう」の意味はこちらの館跡にもってきているようです。

日枝神社の南にあった字館とは「高田館」を指し、『若狭郡県志』にもその名がみえる館跡です。現在は宅地化がすすんで、見る影もありません。本郷氏の居館とされています。

城歩きマンはやはり、達城のほうにこだわり、こちらを「たちじょう」の役割をもたせたものと考えたいのですが、踏査した限りにおいてはいわゆる連郭式の山城であって、特段注記すべきことはありませんでした。
しかし、北端部の長応寺さんがある「出丸」の部分だけが二重堀切や畝堀を施されているなど、異常なほどの防御態勢をとっています。
この部分が「出丸」というよりも主郭の役割をもった機能を与えられていたのではないか、と城歩きマンは想像しています。
どなたか、ご意見お聞かせ頂ければ嬉しいです。
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