若狭高浜・砕導山城(さいちやまじょう)と信仰について

愛宕社からみた青葉山
若狭高浜町砕導山城・愛宕社からみた青葉山

6月16日(日)若狭本郷の達城を登城したときに、少し時間がありましたので城歩きマンとしては、足に自信もないのに欲張って、もうひとつ山城に登ってみようという気になりました。

達城から少し西に向かった、若狭和田駅の南方の和田城に登城しようと車を走らせました。この城は馬居寺の裏山にあたるのですが、私でも登れるような山道を探しましたが見つかりません。北端部の介護施設「けいあい園」から登ろうと寄ってみましたが、やはりここも道が見つかりません。

仕方なく、和田城をあきらめ、さらに西に向かって走り、若狭高浜駅の南にある佐伎治神社へ。有名な「砕導山城」があります。実は城歩きマンは、機会がなくて今まで、この若狭で一番規模の大きな山城である「砕導山城」に登城したことがなかったのです。

今日はいい機会だと思って、この山城に思い切って登城しました。
砕導山・愛宕社
砕導山城の中腹にある愛宕社・祠堂。ここからみた青葉山は大変美しかった。

佐伎治(さきち)神社は砕導神社ともいい、式内社、旧県社として古くから信仰を集める神社です。戦国時代に若狭武田氏の重臣であった逸見昌経が東隣の中薗部から、現在地に移して再興したといいます。
この神社の背後に展開するのが逸見氏の居城である砕導山城です。

佐伎治神社のすぐ脇から遺構が続いており、南北約600m、東西に約1.2㎞ほどの広がりをもって曲輪や堀切、竪堀、雛段遺構などが密に展開しています。
聞きしに勝る山城だなあ、と実感しました。城歩きマンは時間のこともあって愛宕社のある中腹から、妙見山、千丈ヶ嶽まで回り、鉄塔のところから来た道を引き返しました。山城全体の三分の一といったところでしょうか。

今回、こうして山城を歩きながらひとつ気になることがありました。
達城の北端部の「出丸」とされる平坦地に長応寺があり、ここには妙見さんが祀られています。今また砕導山城にきて、妙見宮があり、偶然かもしれませんが、妙見信仰がここにはよく残っているなと思いました。長寿延命、除災招福の神様ですが、武将の間では戦勝祈願の神様として信仰されたといいます。

妙見神社といえば郡上市にある明建神社がすぐ頭に浮かびます。鎌倉御家人であった千葉氏一族の東氏がこの地に入部し創建したといわれ、熱心な妙見信仰の武将でした。東氏はこの郡上市の中世山田庄の地頭であり、旧大和町に篠脇城を築いたことでも知られます。山城の麓には国名勝庭園で知られる東氏館があり、昭和55年から発掘も行われました。

砕導山城・二重堀切
砕導山城・千丈ヶ嶽の曲輪群で確認した二重堀切。小山になった両側が堀切部分。

話が飛びましたが、ことほど左様に戦の神様と武将は縁が深くて山城に登るとこうした戦勝祈願や軍神としてあがめられた神様を祀った神社がよく見受けられるものです。
若狭では特にこうした神社が目についたものですから、興味が沸いてチェックしてみました。
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