箱ヶ岳城と波古(はこ)神社について

箱ヶ岳城(上中駅東から)箱ヶ岳城遠望。若狭上中駅の東から。
山城と信仰について、第2弾。

6月16日に達城、砕導山城を登城した折に、下調べを兼ねて、JR上中駅の近くから堤集落の奥に見える箱ヶ岳城を撮りました。

この山城は武田氏の重臣、内藤氏のうち佐渡守を称する一族の居城で、堤・杉山集落の背後の丘陵(標高402.4m)の山頂部、尾根線上に所在します。若狭の山城ではもっとも高所に位置する山城です。登城するのには難儀しそうで、よほどの覚悟が必要ですね…。

さて、前置きが長くなりましたが、この箱ヶ岳城の東側山麓の堤集落に「波古神社」があります。別名「筥明神」、「箱神社」とも言うそうです。天平年間に勧請された、との伝承があり、かなり古い神社ですね。
昔はこの付近は北川と鳥羽川の合流点にあたり、河川の氾濫が多発した場所だったようです。ちなみに祭神は「波邇夜須毘古ノ命」といい、山野田園の土壌を司る神だそうです。

城歩きマンは例によって、この神社の名前の「波古」が気になって、いろいろ考えてみましたが、越前にいくつか「はこ」のつく地名がありました。
「筥の渡(勝山市大渡、下荒井」、「箱ヶ瀬」(旧和泉村)、「箱ヶ原村」(池田町柿ヶ原の古地名)

特に勝山市の「筥の渡」は九頭竜川に懸かる3大渡のひとつで、九頭竜川をむかしは「筥」川といったところから名が付いた、とも言われています。「箱ヶ瀬」は九頭竜川の上流、和泉村の村名で、「箱ヶ原」は足羽川の上流、池田町柿ヶ原の古地名です。いずれも川にちなんだ地名です。

こうして地名を調べていると、越前も若狭もある意味、よく似た歴史の流れをたどったのかなと思われてきます。
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