福山市域の山城と畝状竪堀について

福山の遺跡百選
過日、広島県の知人から書物をいただきました(写真)。2,3年前に福山市内に分布する遺跡から、100か所を厳選して一般に紹介し、刊行されたものです。
役所関係の本かと思いましたら、純然たる民間、しかも歴史愛好会の「備陽史探訪の会」という会から出版されたものでした。会は30年も前に福山市を中心とした備後・山陽地方の歴史を広めるために結成されたそうです。書かれている内容は、原始時代から江戸時代までほぼ全般的に網羅されています。
広島のSさん、ありがとうございました。

城歩きマンが特に目を引いたのは、やはり中世城館に関するもので、100か所の遺跡のうち、34か所が中世城館についての説明でした。そして、多くの場合山城で、あまり織豊関係のものは少なくて、毛利氏とそれに連なる在地の勢力、国人関係の山城が大半を占めていました。

城歩きマンはうれしくなって、それらの山城の形態に注目しながら読ませていただきました。そして、大変重要なことに気付きました。それは、34か所の城館のうち、7か所の山城に畝状連続竪堀が施されているという事実です。約5分の1にあたります。この数字は、福井県に置き換えて、全体で約500か所余のうちの、ほんの数か所(10か所内外)という状況から察するに、大変高い密度だと思われます。しかも選別されているのですから、まだ他にも…。

もうひとつ重要なことは、この畝状連続竪堀を施した山城の城主は、戦国大名であった毛利氏関連のものもありますが、ほとんどが在地の国人層のものだったということです。こうした事象が意味しているものは決して通り一辺の内容ではないと思います。

城歩きマンが、常日頃考えていることにたいへん近いものだったので、なおのこと福山市の山城の構築状況に興味を抱きました。
福山市での例は、畝状竪堀がどこそこの戦国大名が織豊勢力との戦いの中で築いたもの、天正年間に集中的に築かれたもの、といった見方を修正する内容となっていると思います。この傾向は、全国的に進められている山城の悉皆調査の報告書が続々と刊行され、その状況がつぶさに把握できるようになってきた、つい最近のことと思われます。きっと、ほかの地域でも、こうした現象が指摘し得るのではないかと思います。

このブログを一読された人の中で、山城に興味がある方、是非、ご意見をお聞かせください。
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