観音寺城の石垣調査の成果について

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4月21日(土)滋賀県立図書館で開催された観音寺城の講座を聞きに行ってきました。平成20年から4年間実施してきた観音寺城の石垣調査の成果を報告するというので、楽しみにしていました。その日の講師は実際に石垣調査に携わった滋賀県教育委員会の調査員さんたちで、ホットな話題を混ぜながら、丁寧に話をしていました。
午後1時30分から4時30分まで、聴講者の質疑応答も交えてじっくり聞くことができました。なかでも特に印象に残ったのは、従来の研究者の見解ではあまり触れられていなかった、観音寺城の城郭としての性格規定、というか防御施設としての構造的な話に直接ふれていて、とても新鮮だったということです。
地元ではない私たちの印象としては、鎌倉時代以来の名族と言われた近江守護佐々木六角氏の居城であり、標高400mを超える丘陵の尾根線や、山腹に数百を超える曲輪がつくられていて、それらがみな石垣を施しており、他の地域では土を盛っただけの山城が多数を占めるなかで、極めて特異な構造の山城だということでした。そして、すぐ西側につくられた信長の安土城の影に隠れて、それ以上は目立たない存在として、長い間脚光を浴びてこなかった(?)山城だということでしょうか。
しかし、今回の講座はそうした存在の観音寺城に直接向き合って、正面から観音寺城の構造の究明に挑戦したもので、大変興味深い印象を持ちました。
観音寺城は戦国時代の山城としては堀切や土塁などの防御施設がなく、敵の攻撃には無防備な山城だという大方の指摘に対して、実は6,7mの高石垣をもつ曲輪を外郭ラインとして配置し、三国丸をピークに尾根筋を馬蹄形に曲輪を並べる構造を持っている、と指摘しました。東端にある布施淡路丸は「出郭」群であるとし、さらに石垣を持つ曲輪群が指定範囲の南端にある「鳥打山」にも及び、これらは出城ではないか、と指摘しました。
今回の報告は、調査者も述べているように観音寺城の「新見解」を聞けた、という意味で大変充実した一日でした。これについては、後日、もう一回触れてみたいと思います。
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