大野市勝原(将監)城を考える

編集_編集_大野市西勝原位置図
前に、このブログで取り上げた記事(2013.5.2)のなかに、「大野市の山城分布の特徴」というのがありました。
さらに、その前に「福井県の、実態不明の山城について」(2013.4.13)という記事を書きました。
今日はその補足です。

福井県内の中世から戦国時代にかけての、主として山城に関する縄張り図、遺構測量図などの資料は『福井県の中・近世城館跡』、『日本城郭大系』vol.11を除けばほとんどなく、しかもこの2冊の資料集は発行年が古くて、現在では詳細を見るのには大変不便を感じるものになってしまいました。

もっと福井の山城を知りたい、という人は自分で歩く以外に道はない、というのが現状です。

前置きが長くなりました。ぐどぐどと愚痴を言いましたが、今回とり上げる「勝原(かどわら)城」もそのひとつです。

編集_勝原橋から将監山を望む
江戸時代の大野藩の口留番所が置かれたところですが、中世にはいろいろとこの地をめぐる歴史的なやり取りがあったようです。

『福井県の地名』事典には、西勝原村の項中で地元の伝承として、村西にある独立丘陵「城の山」に城跡があって、斯波氏の守護代であった甲斐氏の家臣、山路将監の居城と伝えています。

一説には、斯波氏の家臣であった二宮左近将監の居城で、応仁・文明の乱のときに朝倉孝景(英林)が越前をほぼ制圧し、大野に攻め込んできましたが、斯波義敏が佐開にある神明山城から大野の亥山城に立て籠もったので、戦局は富田庄伊野部郷周辺に移り、ここで二宮将監は敗北し、最後は勝原城に立て籠もり抵抗を試みたが焼打ちに会って落城した、と言います。

また『越前国城跡考』には朝倉氏の家臣林浄恵が居城した、とあります。

編集_編集_郷土大野のところどころ

このようにいろいろと勝原城についても中世から江戸期にかけて、明らかにするべき事項がいっぱいあります。

勝原城についてネットで検索していたら、上の写真の「大野市報」という記事に出会いました。実に昭和30年4月の記事です。内容は、勝原城は立派な史跡の一つだから、大いに顕彰していけば大野の一大観光地になる、と言っています。
この後、昭和38年には勝原スキー場が開設され、スキー客で大いに賑わうことになるのですが、記事を書いた人はその8年も前に、観光開発の促進を意図したのか、城山の山頂まで道路をつければ展望も良いので、きっと、千客万来となるだろうと絶賛しています。

しかし、勝原城は、その後積極的に活用されることはなかったようです。前述の『中・近世城館跡』にも『城郭大系』にも内容は取り上げられず、縄張り図すらありません。
城歩きマンは、少しでもこの状況を変えるために微力を注ぎたいと思っています。
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COMMENT 2

midorishako  2013, 10. 12 [Sat] 06:56

すごいですね。
書籍にないことを調べていくのは。
迫力を感じました。

それにしても昭和30年といえば、もう60年ほど前になります。
この記事を書いた人の意見を取り入れていれば、もっとちがったようになっていたでしょうね。

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城歩きマン  2013, 10. 12 [Sat] 07:15

midorishakoさん、コメントありがとうございます。

大野市はまだしも、旧大野郡とか、山奥に入ると城跡に関する情報がほとんどない、のが実情です。
どこへ行ってもこうした傾向はあるものでしょうけど・・・・。

しかしながら西日本、特に関西周辺の県では山城の悉皆調査が進んで、測量や分布図などが整備されています。
石川や富山でも資料化が進んでいます。福井でも・・・・。

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