三日延山城(愛宕山)は山城か?

編集_編集_017愛宕山遠望(南西から)
10月13日(日)越前市二階堂城に登城したついでに、片屋町の愛宕山(標高103.1m)に登りました。

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この山は先日のブログでも紹介したように、平安時代の中ごろの武将、多田摂津守満仲が築城したという、三日延山城があると言われています。
また、この山は古墳群があることでよく知られているので、一般にはこちらのほうで有名です。現地の登山口には案内板が立っていて、愛宕山古墳群として説明書きが記されていました。案内板の脇には登山用のステッキがたくさん器に入れられていて、見学客の利便に備えているようでした。

登山道もきれいに手入れされていて、気持ちよく山頂まで登れました。

編集_編集_021愛宕山登山道石碑
愛宕山古墳群は、愛宕神社祠堂がある山頂部の西側丘陵部と北側に延びるやや低い丘陵に広がっているようで、愛宕山はお椀を伏せたようにこんもりとそばだった地形になっています。

編集_編集_025愛宕山山頂・神社
写真は山頂にある祠堂です。ここはハイキングコースになっているようで、展望所として、鯖江や武生の市街地が見渡せるように、木を伐採し、またパノラマ写真が配置してありました。

編集_編集_031山頂から日野山を臨む
山頂から東南の方角に村国山、その奥には日野山が見通せました。
しかし、山頂からの眺望とは裏腹に、山城らしい遺構は登った時も下りる時も確認できませんでした。案内板には古墳群と山城との複合遺跡だと書いてありましたが、果たしてどうでしょうか。

山自体が急傾斜で、高く聳え立ち、周囲をよく見晴らせる、という意味で砦や陣所として使用された、と解することは可能です。
片屋町一帯は、京都六勝寺のひとつ尊勝寺曼荼羅堂の「便補の保」だったようで、鎌倉時代には九条家の知行地になっています。この南の太田町は京都日吉神社の料所、北側の野田町、氏家町一帯は野田郷、氏家郷として千秋氏の知行地になっていて、開発が進んでいたところと理解されます。

これだけの状況証拠があっても、この愛宕山では、山城の遺構は山頂付近や途中の斜面には確認できませんでした。最も北側丘陵は未確認ですので、断定はできませんが、中心部は山城とは思えない状況でした。

編集_編集_035東山古墳群中心部を臨む
写真は古墳群の様子です。伝承になって残っているのは、こうした古墳群の様子を見たからでしょうか・・・・。
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