御床ヶ岳(三床山)城は中世の山城

編集_編集_御床ヶ岳城位置図
10月14日(月)3連休最後の日に、鯖江市和田町の背後にある御床ヶ岳(三床山、標高280m)城に登城しました。

この山城には思い出があります。
むかし、城歩きマンが福井県史編纂の仕事で、当時朝日町(現越前町)の岩開にある大隆寺に縄文時代の土器を見学に行ったことがあります。
寺の和尚から、村の歴史や縄文時代の土器や石器を見せていただきながら、ふと和尚が寺の庭先から東の山を仰いで、あの山が三床山城ですよ、立派なお城だから一度登ってみなさい、と薦められました。

城歩きマンがまだ30歳を少し過ぎたころの、かけだしの職員のころの話です。一乗谷での発掘調査の仕事に没頭していたころで、山城のことも中世の福井の城跡のこともほとんど知識がありませんでした。

そんな城歩きマンに、和尚が、とうとうと三床山城のいわれやお城の面白さについて開陳してくれました。
三床山城の名はそのときから、ずっと耳に残っていた城跡です。

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このブログで、実態不明の山城の一つに入れていたのは、縄張り図が不備とか、誰も現状について触れていないからではなくて、時期判定が難しいことがあったからでした。

今回、福井新聞の記事で、登山道がきれいに整備された、という地元の壮年会の人たちの活動が紹介されたのを読んで、この山城への登城を思い立った次第です。

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平安時代の中頃に佐々牟志神社の宮司であった宮川出雲守が山頂から、神社を移転し、そこに山城を築いたという伝承をもつ城跡です。
室町時代には斯波高経が一時期、この城に居城したことがあるとも言われています。

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岩開集落からは反対の場所ですが、和田町の公民館から少し奥に入った山沿いの道端に、写真のような案内板が立っていて、とても分かりやすい表示でした。
ここから、いよいよ城跡へ登城です。
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