魚津市枡形城跡について

枡形城跡の石碑富山県魚津市枡方城跡の石碑(魚津市指定史跡)
5月7日(月)若越城の会の10月見学会で訪問する予定となっている砺波市増山城跡を見学することがあり、そのついでに、少し足を延して、魚津市の枡形城跡(地元では舛方あるいは升方と書く場合がある)へ行ってきました。
標高230mほどの丘陵尾根線上に、長さ約370m、幅約200mの規模をもつ中規模の山城です。
わざわざこの山城を訪れた理由は、富山県ではあまり多くない、畝状連続竪堀(畝状空堀、畝形阻塞群ともいう)をもつ山城だからです。本丸とみられる主曲輪は標高238.5mの山頂にあり、その周囲を二の丸や小曲輪、大小の腰曲輪が輪郭状に取り巻き、堀切、空堀(いわゆる横掘)、土塁、井戸等の遺構が付随しています。
そして、なんといってもこの城のおおきな特徴は、尾根の全体をカットし、土を盛り上げた「土城」を基本としながらも、川原石や小割石を2,3段積み上げた小規模な石垣が要所々々に見られることと、主曲輪の下段周囲に畝状連続竪堀が取り巻くように施されていることです。
富山県では最近、この他にも畝状竪堀をもつ山城の存在が指摘されていますので、決して珍しい存在ではなくなりましたが、この枡形城は多数が集中的に施されているので特徴があります。
城主は転変とし、松倉城の椎名氏の家臣小幡九郎や佐々成政の家臣佐々新佐衛門、あるいは前田氏の家臣竹田宮内等々があげられます。通常は松倉城の出城という位置づけです。
この城の南側には南枡形城、そして「石門跡」があります。今回は時間のこともあって、主要部だけの踏査になりましたが、枡形城の畝状連続竪堀は当初の主曲輪に付随した腰曲輪をつぶして、刻みこんだことが明瞭に分かる城跡だということが言えます。特に南側斜面で顕著です。また、佐々氏や前田氏の城作りの影響があったかどうか、土塁に小石垣をもつことや曲輪の周囲に盛り上げた土塁も規模が低く、改変がどの程度なされたのかはっきりしません。このあたりは次回への宿題としておきたいと思います。
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