岡豊城の障子堀について

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11月3日(日)2日目の検討会は、南国市の県立歴史民俗博物館で実施されました。

博物館のある丘陵全体が長宗我部氏の居城である岡豊城の城域です。
検討会では1日目に、中世城郭研究会の池田誠さんが岡豊城の縄張りと周辺への影響について発表がありましたが、この山城に畝状竪堀が施されていることは、すでに『中世城郭事典』に当の池田さんが指摘されていました。

ところが今回の発表では、レーザーによる測量調査を実施し、岡豊城のまわり全体にほぼ万遍なく畝状竪堀が回っていることが分かった、と発表しました。
これは大変すごいことだと思います。

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2日目の検討会終了後に、会であらためて岡豊城の見学会が行われ、測量図の成果に基づいて市の調査担当員さんや、池田さんらによる説明がありました。

この岡豊城の畝状竪堀が城域全体に広がることが分かったことに加えて、城歩きマンが詰の段の西側にある二重堀切と空堀のところに障子堀が並んでいることを発見して、池田さんや見学者の人たちと現地で確認することができました。
これは天候が雨になることが予想されたので、前日の1日の午前中に岡豊城の踏査を行って分かったことでした。

何度も現地を歩いている池田さんも、現地で城歩きマンが指差して説明すると、当時は草が生い茂っていて分からんかったがなあ、と言いながらも認めてくれたようでした。

これで岡豊城の縄張りにもうひとつ内容の点で深みが加わり、何よりも、現地でこれも池田さんらと話し合ったのですが、四国で障子堀が見つかったのも初めてだということでした。

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写真は詰の段西斜面下の空堀です。向かって左には畝状竪堀があります。
この空堀の部分に、計5か所の障子堀が並んでいるのが分かりました。現状はだいぶん埋まっていて、浅い起伏になっています。目を凝らして見ないと見過ごします。

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空堀のさらに西北方向に隣接して刻まれている二重堀切です。遺存状態も良好で、大変見ごたえのある堀切でした。
次回は城跡の全体について触れることにします。
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