岡豊城から大高坂城への変遷について

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11月2日(土)高知市で開催された中国・四国地区城館調査検討会の発表の冒頭に、地元高知県教育委員会の松田さんが事例報告として岡豊城から大高坂城(のち高知城)への変遷について述べられました。

この発表で高知城の発掘調査の成果から、長宗我部氏の大高坂城築城の実態がおおむね判明してきたとし、天正15,6年ころに岡豊城から大高坂山へ居城を移すため、築城を開始したが、水利の関係で困難となり完成をあきらめ、海岸に近い浦戸城へ移転した。

本格的に城を完成させたのは山内氏であった、という従来の考え方に一石を投じ、三ノ丸の石垣など天正期に構築されたことが分かり、長宗我部氏のころに築城が行われていたことが推定されるとしました。

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写真は三ノ丸の石垣です。いわゆる「野面積み」になっているのがよく分かります。

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三ノ丸と二ノ丸の境界の石垣の裾に説明板がいっぱい立て並べられていました。
そのほとんどが発掘調査の解説になっていて、おそらくは現地説明会などに使われたものと思われます。

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二ノ丸へ上る階段手前から本丸を臨んだ写真です。
当日は今にも雨が降り出しそうな、暗い曇り空でした。それでも見学客は大勢観に来ていました。さすが高知城ですね。
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