友をおくる

11月8日(金)富山のお葬式に参列してきました。同じ考古学を仕事にしていた仲間の一人でした。

県職員として発掘調査の仕事に精を出していた現役のころ、北陸4県で考古学に従事する調査員でつくる研究会がありました。名前は「北陸中世土器研究会」、のちに「北陸中世考古学研究会」に変更しましたが。

とくに中世の城館や集落、城下町などの発掘調査に関わっていた者同士が集まって、その成果を出し合い、遺跡の内容や、研究課題についていろいろ議論しあい、お互いが切磋琢磨することに意義を感じていました。

そうした仲間が、30年以上も経過するとお互いの所属する組織で、若い人たちの上に立ち、指導的な位置で違う仕事をさせられる頃には、定年という人生儀礼(または通過儀礼)のようなものが立ちはだかってきます。

いやおうなしに来し方を振り返り、人生の区切りをつけさせられて、リタイアということになります。
引き続き「嘱託」などという身分で元の職場に居残りできる人もいれば、さっさと立ち去る人もいれば、何故か重い病気などを背負い込んで「あの世」へと旅立ってしまう人もいます。

城歩きマンは福井に住んでいるので、県内のことならすぐにでも情報が伝わりますが、他県だとそういうこともできません。日頃ご無沙汰しまして・・・・、ということなのですが、突然電話で「実は○○さんが昨日亡くなったそうで、明日お通夜で、あさってが葬式で…」という話を聞くとビックリもしますが、同時に「なんで・・・・」と絶句してしまいます。

とにかく、事の真相を確かめなくては・・・・、ということで慌ただしく式に参列するのですが、帰りの途は何とも言えない寂寥感に襲われます。同席した人と生前の思い出など話しながら道を歩くのですが、実に寂しいものです。

これから年を経るたびに、こうした別れを繰り返していくのでしょうか。むかし見たり、聞いたり、読んだりした”死別”、ということの重い意味を実感として考えさせられるのでしょうね・・・・。
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