岩村城(東濃の城めぐり・その2)

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11月16日(土)旅行2日目は、昨日とは打って変わって、快晴の青空が広がる、絶好の見学日和となりました。
恵那市のホテルを出て、最初に訪れたのは岩村城歴史資料館。
ここで岩村城と遠山氏の歴史について、予備知識を仕入れて、いよいよ登城開始。

城歩きマンはこの夏にも岩村城を訪れていますので、道順は頭にしっかり入っています。資料館の駐車場から出て、東の急な坂を歩くとすぐに下田歌子の生誕地や学問所跡が見えてきます。NHK大河ドラマの山本(新島)八重と同じ時代を生きた教育者で、実践女子大の創設者でもあります。

一の門、土岐門から畳橋、三重櫓、追手門を過ぎると坂は緩やかとなり、八幡曲輪、霧ヶ井とすぎて東曲輪まで来ると、本丸はもうそこです。

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本丸の東と北側の虎口状につくってある「埋門」をみながら出丸へおります。その途中に写真にある本丸西側の高石垣が聳え立っています。
出丸から東裾を通って二ノ丸に戻り、史料館のある入り口まで坂を下ります。

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資料館のある場所には藩主邸の正門や藩校「知新館」の長屋門、そして太鼓櫓などを復元展示しています。
また江戸時代末の儒学者佐藤一斎の銅像も入口の脇に建てられています。

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岩村城は鎌倉御家人加藤景廉がこの地を知行したことに始まり、その息景朝は遠山氏を名乗り、以後代々この地を居城としました。
戦国時代には甲斐武田氏や美濃の信長との間で勢力争いに巻き込まれ、元亀3年(1572)景任のときに武田勢に敗れ遠山岩村氏は滅亡します。このときに景任の妻おつやの方が六坊丸を跡継ぎにたてて奮戦した、という逸話があり「女城主」の伝説が生まれました。

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岩村城下町は慶長6年(1601)の大給松平家の家乗が入部してから、本格的に始まりました。城の北西山麓を東西に流れる岩村川をはさんで、北は武家屋敷町、南が町屋というように配置され、その広さは東西約730mに及びます。
平成10年(1998)に岩村本町部分が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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COMMENT 2

midorishako  2013, 11. 19 [Tue] 19:42

史跡を見学する方が増えたけど

お城めぐり、ぜひ行きたかったです。仕事でいけなくて残念。
もう一つ残念なニュースがありました。
竹田城を見学していた方が、石垣から落ちて腰を打って重体ということです。
竹田城は「天空の城」として、最近観光客が多いそうです。
そのため、登り道も滑りやすくなっていたとか。
観光客が増えるのもいいことですが、そのことで色々なトラブルが発生するのも問題です。難しい問題です。

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城歩きマン  2013, 11. 19 [Tue] 21:28

midorishakoさん、コメントありがとうございます。
竹田城の転落事故は大変残念です。

でも、いつかはこんな事故が起きると誰もが予想していたことでした。
最近、天空の城ということで見学者が急増していたとか…。

富士山の登山客ではありませんが、入場料を徴収することも考えたら、少しは客数も減るのでは?あまり無粋なことは言いたくありませんが…。

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