大河ドラマと韓国倭城(その4)

編集_韓国倭城の旅 007<晋州城・磊石門>
晋州市にある朝鮮の城跡、晋州城。その東の入口を防御する城門。この城は秀吉軍の朝鮮出兵時には、釜山鎮城が陥落し、日本軍が拠点としたのに対して、朝鮮側の拠点として機能した鉄壁の守りの要害でした。

東門を通って城内に入るとほどなく、矗石楼、義岩に辿りつきます。この楼閣の川べりにある大きな岩は日本軍兵士に対して、命を懸けて操をとおした義伎論介の悲話にまつわる石碑になっています。

編集_韓国倭城の旅 003
泗川城跡は晋州市から南に17㎞のところにあります。船津里という当時の港があった場所で、毛利吉成が築いた城跡です。慶長3年(1598)の第2次出兵の時には、一斉に攻撃を開始した明・朝鮮中路軍を島津父子が防ぎ、撃退したというエピソードが残っています。
城跡には数多くの桜木が植えられていて、春には花見客で大変賑わう市民の憩いの公園になっていると言います。

編集_韓国倭城の旅 018
この城跡は釜山市江西区にある金海竹島城の、本丸に続く西曲輪になります。広い平坦地があって、おそらく当時は二ノ丸のような機能を持った曲輪だったと思われます。

よくみると奥のほうにボコボコと土饅頭がいくつもいくつも並んでいるのが見えます。これは現在の住民が築いたお墓で、地元の墓地になっているようです。朝鮮は近年では火葬が普及しましたが、今でも土葬の塚を築く風習が残っていると聞きます。

むやみに開発せず、地域の墓域として残されているので、いきなり開発の手に落ちる心配はないものと思われます。

編集_韓国倭城の旅 027
朝鮮の城郭には晋州城以外にも、釜山の郊外に金井山城という三国時代(新羅・百済・高句麗)の城跡があります。標高801mの比較的高い丘陵の頂上に位置する山城です。南門近くまでは麓からケーブルカーが設置されていて、多くのハイカーがこれを利用して自然散策やハイキングを楽しんでいるようです。

編集_韓国倭城の旅 037
倭城めぐりの旅は4日目に蔚山城と西生浦城を見学しました。
ここはどちらも加藤清正が築き、また補強をして明・朝鮮軍と対峙した有名な城跡の一つです。この写真は城跡の中腹から海側を見下ろしたものですが、蔚山に向かう軍勢の食料や武器などの補給を促す重要な中継基地だったと言います。

標高209mの丘陵に本丸を築き、またそこから麓に向かって南北約800mにも及ぶ長大な登り石垣が東西に平行して走っている、特徴ある山城です。

この城跡には専属の案内人さんで、城跡一帯の案内を続けている「文化観光解説士」がおられるそうです。
他の関連ブログを検索していましたら、ここで長年文化観光解説士として活躍されているキム・チョンジャさんが「日韓文化交流基金賞」を授与され、昨年、熊本で開催された「加藤清正生誕450周年記念シンポジウム」に招かれて、講演をされたという記事が載っていました。

この倭城の話を始めた最初の記事でも、釜山のキム・ヨンジャさんという民間のかたが倭城の研究を続けていて、最近本を出版されたという話題を紹介しましたが、どちらも大変心温まる、とても勇気が湧いてくる話です。

城歩きマンは近々もう一度、倭城めぐりの旅を果たしたいと思っていますが、10年前の平成15年に訪れた時とは周りの事情がだいぶ変わってきているな、と実感しましたし、政治的には緊張関係が続いていますが、きっと近いうちに情勢も和らいでくるものと信じます。その時には何とか玄界灘のむこうに足を下せると思います。
その時が大変待ち遠しい城歩きマンです。
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