加賀一向一揆と戦国大名朝倉氏(その2)

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昨年6月28日(木)加賀市大聖寺にある大聖寺城を訪れ、このブログで紹介しましたが、写真はその時の記録写真です。

遺跡の整備のために加賀市が近年遺構の有無や遺存度を確認するために、要所にトレンチを入れていて、その成果を公表する現地説明会があったのですが、城歩きマンは日付を間違えて6月28日には見学会は終わっていました。

せっかく来たのだからと、城跡を一人で歩いた時の記録です。

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写真は大聖寺藩の初代利治公を祀る江沼神社。3代藩主利直が創建したと伝えます。

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大聖寺城の本丸跡です。この城は戦国時代以前の南北朝期から歴史に登場し、朝倉時代には一向一揆の拠点ともなった城です。
その後は柴田勝家らの加賀侵攻によって一揆勢力が一掃され、天正11年(1583)には溝口秀勝が入城し、現在見る縄張の城に改修したと言われます。元和元年(1615)の一国一城令により城は破却され、以後再建されませんでした。

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写真は昨年6月の本丸での発掘風景です。
大聖寺城は加賀藩、前田氏とその一族のイメージが色濃い城跡ですが、実は大聖寺藩には藩主の屋敷が置かれたのみで、山城部分は別のものです。

そして、この大聖寺城は西側に地続きでつながる津葉城の部分とを含めて、中世の大聖寺城を形成していたもので、加賀一向一揆との戦いが激化する弘治元年(1555)の出兵や永禄7年(1564)の出兵では大聖寺城を拠点に周辺の一揆の拠点をせめ落としています。

金吾城もそうした朝倉氏の加賀出兵時の砦城のひとつです。
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