温見峠と城

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新聞に紹介された話ですが、11月14日に旧大野郡西谷村温見に今も通い続けて、昔の田畑のあとの杉林を手入れしながら、「出作り」をやっている古老のことが出ていました。その後、同新聞の社説(11月28日付)にも温見のことがとり上げられ、現在の豊かさという価値観への問題意識が問われていました。

もう一つの「里地」「里山」の現地生レポート、といったところでしょうか。温見は大野のうんと山奥ですから、里地里山というには少し、奥に入りすぎているかもしれません。

でも、福井県などは特にこうした形で、いまでもほそぼそと守られている「ムラ」のあとが少なからずあります。温見は38豪雪のあと廃村になって50年たっているとか…。

温見については、城歩きマンも少し思い出に残ることがあります。
昭和57年前後だったでしょうか、福井県史の編纂に携わっていたころ、温見遺跡という縄文時代の集落遺跡の現地踏査で、ここを訪れたことがあります。国道157号線で真名川の上流から中島の発電所、雲川ダムをえんえんと軽自動車で走り続けて、やっとの思いで温見集落の跡地についたことを覚えています。

この旧西谷村は「将門伝説」で代表されるように、歴史的な由緒や旧跡、伝承がいくつも残されている土地柄でもあり、現に江戸時代には中島集落と温見峠に口留番所が置かれたと言います。
幕末にはこの温見峠を美濃から越えてきて、笹又を抜けて池田村・敦賀に入った「水戸天狗党」の話があって、知る人ぞ知るところでもあります。

城歩きマンが訪れてからでも30年以上経って、今でも冬期間は通行止めになるそうですが、一応岐阜県側からの道も整備されて、通り抜けはできるということだそうです。
今年の5月頃にこのブログでも紹介しましたが、旧和泉村や西谷村にはなにか忘れてはならない、私たちのアイデンテイテイのようなものが、キラキラと輝きながら残っているように思えてなりません。
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