若越城の会大滝城見学会に参加して

大滝城登山2012_0520_124834-DSCF0800大滝神社奥ノ院登山道の鳥居
5月20日(日)大滝城跡の見学会は天気もうす曇りと、山登りには絶好の日よりに恵まれ、しかも地元の有志の方々のオブザーバー参加もあって、合計30名にも達する活気にあふれる見学行となりました。地元越前市教育委員会の小林さん、斎藤さんも応援に駈けつけていただき、山城の資料もいただきました。ふれあい会館の手配もしていただき、神社の宮司さん、区長さんにもお世話になりました。本当にありがとうございました。
大滝城は、このブログの下見のときの記事にも書きましたが、初見は南北朝期のころで、歴応4年(1341)幕府方の得江頼員らの攻撃によって落城した、とされています。また、戦国時代の末頃には、織田信長が越前に侵攻した天正3年(1575)に滝川一益がこの城に在城したと伝えています。
中世以来、この地は和紙の生産地となっており、時の権力者には厚く保護されていて侵略される心配があまりなかったと見え、城のつくりは、防御もそれほど大がかりなものではありません。むしろ古相を帯びていて個々の曲輪は堀切で区切られてはいますが、虎口もはっきりせず、土塁や櫓台も設けた形跡はありません。曲輪の斜面も自然地形の削り出しそのままで、手を加えた跡は確認できませんでした。
一向一揆の攻撃が名目で織田勢力から攻撃を受けて落城したと言い、滝川一益がしばらく在城したという割には改修したらしい跡もありません。そういう意味では中世末の山城の形態をそのまま留めているともいえ、尾根上に展開する連郭式山城の典型的なスタイルとして貴重な存在になりそうです。
また大滝城のもう一つの特徴は、中世に平泉寺末として大滝寺が開かれ、大徳山山中には多くの塔頭が展開していたものと考えられます。朝倉氏はこの寺を祈願所として保護したといいます。そうしたこともあって、山城と寺院とが混然一体として成立していて、曲輪をめぐる途中に十善寺、ひじり堂、法華堂、観音堂、みこし堂等々の塔頭名とみられる地名も残っています。
大滝城の見学をさらに楽しいものにしている理由は、自然が大変豊富に残っていることです。ブナ林や天然記念物のオオスギもさることながら、ゼンマイ桜といって、江戸彼岸桜によく似た桜がみられるのもここならではの特徴です。見学した日にはもうすでに葉桜になっていましたが・・・。さらに谷筋にはシャガの群落もみられました。
最後に大滝神社の宝物のひとつになっている滝川一益の「鐙(あぶみ)」を見せていただきました。奥の院に戦勝を感謝して奉納したと伝承されているもので、江戸時代嘉永年間に発掘されたというものです。形状からみると「舌長鐙」の部類に分けられ、一緒にのこっている鉄片(丸い穴あきの鉄板)はその一部分と思われます。
今回の大滝城見学会は、山城のみならず、自然を満喫し、神社の宝物も拝められ、大変実り多い一日となりました。感謝、感謝。
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