安戸の天城(越前市安戸町)とは?

編集_IMG_NEW
昨年の城歩きマンのブログで取り上げた「安戸の天城」(やすどのあまじろ)について、少し話しましょう。

昨年(平成25年)の10月13日に越前市の二階堂城を見学しました。その折に地元の人から「安戸の天城」のことを教わりました。
その後、少し調べたら、なんと『福井県の中・近世城館跡』や『『城郭大系』にもちゃんと取り上げられている城跡だったのでした。知らぬは城歩きマンばかり・・・・。

もっとも、昔の城歩きマンは伝説や昔の言い伝えのことをあまり信用せず、考古学的発見だけが頼り、と思っていた時期がありました。今でも考古学的発見は百の伝説に勝る、という考えは当然もっていますが、百の伝説にはそれなりに意味がある、とも思っています。決して軽んじることはできません。

さて、この安戸の天城ですが、『角川地名大辞典 18福井県』によると「安戸の地名の由来は、7世紀中頃に阿倍比羅夫の同族が代々この地に城を構えて居住し、その子孫の安野氏もこの地に移り住んだ。この安野の家(戸)が縮まって「安戸」になったとのこと。
この安戸の集落の北西の天城山(別名城ヶ峰)(標高451.5m)の山頂には武将の石碑があって、一説によると鎌倉時代末に北条高時の息国時が鎌倉から逃れてこの地に隠れ住んだ、とも言います。

一方、この安戸町は旧白山村に属し、さらに中世には「山干飯保」の一部であったと言います。京都公家四条家の知行する荘園でした。さらに加えると、この白山村の中心部は越前海岸の「米の」や「糠」に通じる「西街道」が通っていたところで、馬借街道とも言われています。
こうして見ていくと古代から中世にかけて、早くから人々が集まり、村落を形成していた由緒地であって、馬借街道の名が示すように交通の要衝でもあったことが十分伺える土地柄であることが分かってきました。

天城山の山頂には「城ヶ平」「清水ヶ平」「大仏」「五大院屋敷」「桑原屋敷」等々の小字名が残っていると言います。
これだけ調べが済んでいるのに、現地の様子は平坦地がある、というのみで城郭遺構については全く記述がみられません。

近いうちに何とかして、その様子を明らかにしなければ・・・・、と思いました。
スポンサーサイト

COMMENT 0