大谷寺と山城

編集_大谷寺3越前町大谷寺
福井県丹生郡越前町大谷寺は泰澄が開いた山岳寺院で、中世には延暦寺末天台寺院として隆盛を誇りました。
白山信仰の五大拠点の一つ、越知山の別当寺として本坊大長院をはじめ衆徒方、山伏方合わせて三十四坊を擁したと言います。

この大谷寺の裏山に城郭遺構がある、という調査結果が2002年の旧朝日町教育委員会の遺跡範囲確認調査の結果明らかにされ、2006年町村合併後の越前町教育委員会調査報告書として、その内容が刊行されています。

長い間山岳寺院としての認識はあったものの、中世の城郭がともなう、ということは見落とされ、ほとんど意識されずにいましたが、このほどようやく日の目を見るということになりました。

2006年の報告書によると現大谷寺境内の背後の丘陵(標高196.7m)尾根線上に展開し、南北約300m、東西約200mの規模をもったいわゆる連郭式山城と思われます。尾根線は南東方向から北西方向に逆くの字に折れ曲がる形で、奥の院へと通じています。

この山城は明瞭な堀切が4本、食い違い土塁の虎口をもつ平坦地が1か所、その他に堂宇などが置かれた平坦地が3ヶ所、さらに大小の平坦地が標高200m前後の高さで水平に並んでいるのが図上から把握できます。

一見してどれが主郭か判断しにくいのですが、報告者は虎口をもつ平坦地が面積は小さいものの、有力な条件をもつと指摘している。しかし、その東側に隣接する面積の広い平坦地、堂塔がおかれた可能性のある中心的な宗教空間も捨てがたい、と考えているように思われます。さらに詳しい現地踏査が必要な所以です。

いずれにしても、大谷寺が城郭遺構を備えた中世山岳寺院であったことが明確になったわけで、大きな前進だと思います。
山岳寺院(神社)に城郭遺構がともなう事例は、福井県内では豊原寺、平泉寺をはじめ、福井市の岸水寺、文殊山、鯖江市の三峰寺、旧今立町大滝寺、越前市大塩の大塩城等々多数が知られています。

こうした寺院が防御施設として城郭を構えたことの契機は一様には括れませんが、大谷寺の場合は、やはり、天正2年の一向一揆による朝倉氏恩顧の武将や旧勢力への攻撃、あるいは天正3年の信長の越前侵攻による戦いがあるだろうとしています。

福井県内の山城や城館の在り方を見ていると、これら中世山岳寺院がもつ意味合いは大きく、その関連性も十分考慮に入れていく必要があるかと思われます。
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