グリフィスと日下部太郎と朝倉氏

編集_DSCF2057福井市足羽川「さくらの小径」から九十九橋を臨む
平成26年2月19日石川の手取川へ行った帰りの足で、福井の足羽川も見てきました。歴史ある九十九橋の写真を撮るために、足をのばして福井市街地まで戻り、足羽川の桜土堤を歩きました。

この足羽川の右岸側の堤防上に「さくらの小径」という最近整備されたきれいな散策道路がありましたので、そこをゆっくりと暖かい日差しを浴びながら歩きました。

この散策道路に幕末の福井藩に招かれて、アメリカから来日し藩校で理化学の教鞭をとった外国人教師、グリフィスの像が建てられていました。その像の横にはアメリカでこのグリフィスに学んだ福井藩士日下部太郎も並んで立っています。

編集_DSCF2061グリフィス(左)、日下部太郎(右)
この像が立っている北側の通りには、かつての異人館があった場所があり、グリフィスの業績を顕彰する「記念展示館(仮称)」を建てようという計画があることが、今日(2月25日)の福井新聞に載っていました。福井県の観光・ブランド戦略の一環として進められているもので、2015年秋までに完成の予定という。いいことですね。

グリフィスは福井県にとっては大変ゆかりのある人物ですが、一方の日下部太郎は、特に福井藩きっての秀才だったということで留学したラトガース大学を首席で卒業しました。
日下部太郎は、実は戦国大名朝倉氏の遠い縁戚にあたる家柄で、福井藩士八木郡右衛門の嫡男でした。本名は八木八十八といい、若くして洋学を学ぶために長崎に遊学し、また福井藩では最初に米国留学を果たしました。
慶応3年(1867)に横浜を出港しています。しかし3年後に留学先のアメリカで病死してしまいました。惜しんで余りある俊才でした。
グリフィス記念展示館が幕末の福井の様子を伝える観光拠点となればいいかな、と城歩きマンは大いに期待しています。
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