厨城跡の踏査(その1)

厨城跡の踏査(その1)
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平成26年4月1日(火)越前町熊谷と同町厨の境界にある「厨城跡」を踏査しました。

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この城跡は、南北朝期に新田義貞が居城したと言い、また斯波高経の第4子、義将もこの城に拠って戦ったと言います。
『越前国城跡考』には「・・・・厨浦ヨリ二十五町計東方山上十四五間四方之所五六間四方之所二ヶ所馬場之迹一二三之掘形有之」とあり、また『太平記』には斯波高経が幕府に反抗して杣山城に立て籠もった折、第4子義将がこの厨城に入り、北国を掌握しようとしたことが描かれています。

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厨城跡は越前町厨海岸の東方山上にあり、標高は536mを測ります。愛染明王を祀る神社の山頂部に立つと、西側は眺望が開けて、日本海を一望に収めることができます。目を東に転じると遠く白山連峰の白い峰々が見渡せ、景色の雄大さに心打たれます。

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かつて若越城の会が平成8年10月27日(日)に「伝大窪鎌太屋敷」跡とともに現地見学会を実施しており、昭和60年頃から始まった、この2号線林道工事の完成によって、城跡のすぐ麓下まで車で乗り付けることが可能となったことが、現地見学会を実現する誘因の一つとなりました。
しかし、城歩きマンが登城を試みたときは、すでに城の会のときから18年も経っており、林道もだいぶ傷んできており、草は生え放題、岩や礫が崩落して道はガタガタの様相を呈していました。

とても城跡まで辿りつけないと判断し、城歩きマンは、車で乗り付けるのを諦め、熊谷トンネルの手前にある林道入り口に車を停めて城山まで歩くことにしました。
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