厨城跡の踏査(その3)

厨城跡の踏査(その3)
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城跡の山麓下が愛染明王社の第1の鳥居になっていて、城跡の石碑や城跡についての説明板がありました。
そこから階段を伝って登ると、最初に左手にあるのが、小城山で特に山城の遺構は確認できませんが、範囲としては含めて考えられているようです。標高513mの三角点がすえられており、また展望所にもなっています。

この小城山からさらに細い尾根を北東に歩いていくと主郭とみられる愛染明王社の真下に出ます。ここには第2の鳥居があって、急坂の階段が取り付いています。

この階段のすぐ右手には説明板にもあるのですが、4条の畝状竪堀がある、と書かれています。小藪の間をよく透かしてみると東斜面に浅い、しかし幅の広い竪堀が3本確認できました。もう1本は分かりませんでした。
この階段を上ると山頂です。愛染明王の御堂の入口にも鳥居があって、鐘撞堂も脇に立っていました。この山頂部までの斜面が段曲輪になっていて、東と南斜面に2,3ヶ所確認できました。

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堀切はこの小城山と主郭のある山頂部との間に掘られているようですが、途中の遊歩道の整備のために削平を受けて、埋まってしまったようです。その気で探さないと見過ごしてしまいます。

第2、第3の堀切は主郭部から北西側の段曲輪の下位に切られています。そして最北端部の堀切に両側を挟み込むように竪堀が左右に2,3ヶ所づつ確認できました。説明板には最北端堀切に向かって左側だけですが、実際は右側(図中赤丸印)にも堀切を軸にして左右に相対するように掘られているのが確認できました。

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また主郭部になっている御堂の西側は、笹や灌木などのブッシュもなく、広葉樹の木立だけでしたので、周囲が大変よく見通せました。そのせいか、主郭部の西側斜面の腰曲輪状の平坦部がきれいに段カットされている様子が把握できました。

全体の厨城の曲輪の斜面は整形がていねいで、角度は比較的急角度となっています。また畝状竪堀は幅が広く、縦長に掘られています。

厨城跡縄張り図(現地)(現地説明板にキャプションを添付)
『日本城郭全集』「栗屋城」では「現在も石塁や塁跡などが面影をとどめている」とあるが、『福井県の地名』になると、「城跡は愛染明王社や釣鐘堂のある郭を中心に、東西両側に多くの腰曲輪をもち、北側には二本の堀切と一本の竪堀が見える」とあり、おそらく現地踏査の結果が反映されているようです。

しかし、東側斜面に礫、岩の露頭部分があり、石塁と思われがちですが要注意。
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