福井市朝倉山城跡に鐘が鳴る

福井市朝倉山城跡に鐘が鳴る

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少し前の話になりますが、福井新聞4月8日の記事に、棗(なつめ)地区朝倉山展望所に鐘を設置した、という話が載りました。

朝倉山は山頂部が古代の経塚跡、及び中世~戦国時代の山城の跡として知られているのですが、地区では子供たちが学校の遠足でよく訪れる山だということです。
この山に地元棗地区のまちづくり団体「自然王国なつめ委員会」が、マリンベルという鐘を取り付けたのです。多くの人が山に登るきっかけとして、また話題づくりとしてもらうためだそうです。

大変すばらしい取り組みですね。ただ登るだけでなしに、頂上で鐘を鳴らして、自分も登ったぞー、と周りに知らせるパフォーマンスになります。山に登る楽しみがひとつ増えた、というものです。
城歩きマンは、その昔、20年ほど前になりますが、市史編さんの仕事で夏の暑い盛りに登ったきりで、頂上の城跡の遺構がうっそうと生い茂る雑木で蔽われて、ほとんど何も見えず、遺構のほとんどが確認できなかったので、とても残念に思ったものです。

戦時中に軍隊の監視所が造られて、その土台の跡らしい土壙が残っていたのはかすかに覚えているのですが…。

朝倉山城跡は、戦国時代の朝倉氏の一族、朝倉玄蕃助景連の居城跡だとも、また信長の越前再侵攻に際して、一揆衆が防衛のために築いた城だとも言われている山城です。
頂上部にいくつかの土塁囲みの曲輪が配置され、三角点のある最高所が主郭とみられる曲輪になっています。周囲北、東、西側には竪堀が刻まれ、下段の曲輪の周囲は空堀が巡っています。追手は南東側の深坂、中山地区の谷筋だと思われます。

朝倉氏一族の居城が、何故この三里浜の南端に近い丘陵につくられたのか、はっきりしたことは分からいないのですが、棗郷それ自体は、朝倉高景(宗祐)が貞治5年に幕府より宛行われた越前7ヶ所の地頭職の一つ、棗(なつめ)荘でしょう。

現在、TV中継塔が山頂部の脇に建てられて、一部遺構の破壊が見られ、また戦時中の監視所の建設による破壊とも併せて、二重に荒らされているので、もうこれ以上の遺構破壊は避けたいな、と思ったものです。
そして、今回の地元地区の人たちによる「展望所」とマリンベルの設置。地下遺構のことがちょっと気にかかりますが、それさえなければ、こうした取り組みは城歩きマンにとっては大歓迎です。
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