福井市朝倉山城の踏査3

編集_朝倉山城主郭部・南半部DSCF2416
朝倉山山頂部の主郭に穿たれた撹乱土壙と思われるヶ所。
南側にある土壙は比較的古く、戦時中の防空監視所を造成する際に掘られた土壙の跡と思われます。北側の土壙は同時期か、或いはそれより後に掘られたものか、少し新しい印象を受けます。

珠洲焼の外容器を伴う経塚が発見されたのは、この昭和16年の監視所の造成のときだと言われています。この所為によって主郭のあった山頂部は穴ぼこだらけになっている、ということです。

主郭部は東西に約20m、南北に約23mの規模を持ち、ほぼ矩形を成すつくりで周囲を巡る腰曲輪との比高差は約4mです。

編集_朝倉山城主郭部・北斜面・腰曲輪DSCF2395
主郭部の北側から西、南にかけて腰曲輪がめぐり、東側では土塁囲みの平坦地(段曲輪)を少なくとも4か所形成しています。「福井市史」などの掲載の遺構の図面を見ると、主郭部から東側の段曲輪には低いですが、ほぼ全体に土塁が巡っている、というように記述しています。

しかし、この平坦地には現在、3基ものテレビ塔が建てられていて、地形の改変が進んでいます。東側の段曲輪(『市史』では二の丸というように表記しています)の空堀や土塁はかなりの削平と撹乱を受けて、遺構の荒廃状態が進んでいます。

編集_朝倉山城主郭部・撹乱土壙(北側2)DSCF2400
この写真は主郭部北側の撹乱土壙の出口の状況です。よく見ると、石列がとぎれとぎれに並んでいて、それが埋もれかかっているのが観察できます。

この石列は北側斜面から東側斜面にかけて、途切れかかってはいますが、なんとか確認することができます。主郭の基礎部分を補強していた石垣列と思われます。何段積まれていたかは不明ですが、付近に転がっている礫群はこの石垣に使用されていたものの残骸(転石)と見受けられます。

同じような状況は主郭部の北東部でも見られました。

編集_朝倉山城主郭部・北東裾虎口部DSCF2394
主郭部北東隅の下は腰曲輪と東側段曲輪(二ノ丸)とのつながりの部分にあたり、テレビ塔が2基、接近して建っているので地形の状況は相当改変を受けていることが予想されます。それでも、注意してよく見ると写真のように、虎口と思われる石列が辛うじて確認できました。

おそらく2,3段以上積んであった、と思われるのですが、ほぼ削平されて最下段の石列だけが残っている、というように城歩きマンには受けとれました。

編集_朝倉山城主郭部・北側腰曲輪・土塁2DSCF2397
最後の極めつけは主郭部(本丸)北側腰曲輪の外側をめぐる土塁の痕跡です。
これも土塁の内・外側が石積みになっていたらしく、エッジの部分や斜面下に、石垣の残骸とみられる礫がゴロゴロと転がっているのが分かります。

今回、城跡の主郭部をきれいに整備し、見通しができるように手入れをしてくれたお蔭で、以前とはとても比較にならないほどの遺構観察ができて、今のような報告ができました。
朝倉山城の評価は、以前とは全く違ったものになっていくだろうという予感がしています。
スポンサーサイト

COMMENT 0