深坂古道(敦賀市追分)と国境の山城

深坂古道(敦賀市追分)と国境の山城

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平成26年5月18日(日)若越城の会の今年度の第1回現地見学会は、敦賀市の深坂古道を歩く計画になっています。
若越城の会としては、木ノ芽古道に次いで2番目の古道散策ウオークです。

越前、若狭には古道と呼ばれる歴史の道がたくさん知られています。その中で、近江の塩津や海津をつなぐ古道もいくつかあります。
小浜と今津をつなぐ「九里半越」や、疋田から山中を抜けて海津にいたる「七里半越」、そして、疋田追分から、沓掛をとおって塩津にいたる深坂越(深坂古道)。これらはいずれも「西近江路」と呼ばれる、琵琶湖の湖西を通る幹道に総称される道のひとつでもありますが…。

紫式部も通った古えの道、ということで話題性もありますが、なんといっても興味を引くのは、峠付近に残る深坂地蔵、別名「堀止地蔵」とも呼ばれる地蔵を祀る神社があり、その昔、運河を掘り抜いて、日本海と琵琶湖を一本の川でつなごうとした、今考えると実に大それた計画があって、それは実際に実行され、途中で大きな岩盤にぶつかり、断念したので「堀止地蔵」が祀られて残っている、という話です。

実におもしろいですね。
この古道は近江と越前の国境を結ぶ道であり、戦国期(16世紀半ば頃)に新道野の道が開削されるまではメインストリートだった、という事実。

この古道の峠付近の尾根すじにいくつかの城跡がある、というので今から大変楽しみです。朝倉氏が織田信長に攻められて滅亡した、あの刀根坂の道は近江との国境沿いに「玄蕃尾城」をはじめ、賤ヶ岳の合戦とも重なって有名な山城がいくつも知られているのに、この深坂古道に関連する山城は全く知られていなかった、存在することさえ考えもしなかったのですが、やはり城跡があるのでしょうか。

前述の熊川宿、小浜への道には熊川城があって、国境のおさえとなっていました。信長が天正3年に若狭の土豪を味方に、敦賀から越前に再侵攻した時は「九里半越」の道を使いました。
深坂峠付近にもし城跡があるとすれば、誰が、どんな目的でつくったのか、大変興味のある話ですね。
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