高志書院刊『中世城館の考古学』が発刊されました

高志書院刊『中世城館の考古学』が発刊されました

中世城館の考古学
先月5月25日、高志書院より標記の研究書が刊行されました。A4判、総数480頁余に及ぶ大冊で、計33名にのぼる研究者の方々が、近年の成果を論稿にまとめて発表されています。

高志書院からは、以前にも同様な体裁で『戦国城下町の考古学』と題する研究書を出版していて、もしこれが多く売れれば、シリーズ的に次回以降も続けて『…の考古学』とするタイトルの本が出てくるような気がします。

余談はさておき、この書物の編著者も述べているように、刊行の目的は中世から戦国時代にかけての山城や館跡、城下町遺跡の文献や考古学上における研究成果を概観し、’80年代に高揚期を迎えたあと、その到達点がどのレベルに達しているかを検証することだとされているようです。

分担された執筆者の方々は、近年、そうした成果を多く発表されている気鋭の研究者ばかりで、いずれの論稿も力がこもったものばかりだと見受けられました。
その中で、まだ全部は読み切っていないのですが、城歩きマンが特に興味を持っているテーマの論稿がありましたので、感想を少し書きたいと思います。

それは「第Ⅰ部 遺構論・遺物論」の中に収められたTさんの「畝状空堀群」です。
この畝状竪堀(空堀)に関する論考は、これまでにもたくさん書かれて、山城の技術論的な研究の目立ちやすいテーマになっていました。もちろん、その草分けは村田修三さんであり、北垣聰一郎さんでした。その後は、奈良大学の学長になられた千田嘉博さんが、とても要領よくこれまでの研究の流れをつかみ、また畝状竪堀の性格をまとめられて、畝状竪堀の研究は一段落してしまったような印象を受けていたのですが、この論考を読んで、少し見方が変わりました。

Tさんは、千田さんらの研究を受けて、さらに近年全国各地で集積されつつある、畝状竪堀を有する山城の測量図や、踏査記録、はては研究論考などを概観され、特に中国地方での成果をまとめて、私見を書かれています。
その要点は、戦国大名が用いたとするよりも、中級クラスの国人層の山城に多く用いられ、また用いられ方も一概には一括りできない、といった主旨のものでした。

これまでに言われていた畝状竪堀の採用にかかる契機的なものが、鉄砲の採用により、弓矢の戦術から城攻めに対する防御の戦術が大きく見直され、斜面からの横移動による攻撃を遮断し、敵を狙い撃ちするために多く用いられた。関西や北陸の大名が天文・永禄期を前後する時期から構築していき、逐次全国に広まったと見られてきました。

当初の研究者は、織豊系、後北条系、はては武田氏系といったような戦国大名の名前を冠して、堀切、土塁、馬出等々の形状の違い、ひいては縄張の違いを色分けし、畝状竪堀も朝倉氏や飛騨三ツ木氏、あるいは毛利氏の専売特許のように扱われたものでしたが、このような色分けの思考は山城研究の方向性を歪め、歴史の真実といったものを見失わせるものだと直感していました。

城歩きマンは、定年を迎えた後の有り余る時間を有効に使いたい、という思いで自家用車を駆って畝状竪堀のある山城をアチコチと、それこそ少し遠いところでも厭わず歩き回りました。そのお蔭もあって、在職中になかなか見ることができなかった、山城のいろいろを見る機会が少しずつですが増えて、随分と城について考えることができました。Tさんの書かれた論考を読んで、やっとここまで来たか…、と隔世の感に打たれているところです。

他の論稿も何れも力作ぞろいで、読み応え十分です。一つずつ読ませてもらうつもりです。出版に携わった方々のご苦労に敬意を表したいと思います。
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