一乗谷城見学会の下見(その2)

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一乗谷城見学会の下見(その2)
馬出コースは、いわば直登コースで、「英林塚コース」に次いで急坂が多い登城道。阿波賀コースよりははるかに距離が短くて約1.8㎞ですが、よほどの健脚ならいざ知らず、やっぱりつらいです。

登りの時間約60分。もっとも、例によって城歩きマンの場合は、途中で案内板や説明板のチェックと撮影があるので、余計に時間がかかっていますが…。
ようやく山上の千畳敷に到着。

ここもきれいに下草が刈ってあり、とても見やすい、きれいな看板が新調されていました。地図付きなので、現在位置もよく分かります。蛇足ですが、地図の配置は北を上にした配置ですが、実際に城跡に登るときは北から南に向かって登るので、現在位置の確認にはやはり方位を逆にしたほうが見やすい、と思うのですが。

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写真は千畳敷北側にある畝状連続竪堀の様子です(黄色の線)。ここはいつもは、藪の中になっていて、こんなにきれいには見えませんでした。今回、看板設置の際に、ついでに見どころもチェックして、遺構を見せるために要所を刈り込んだのでしょう。大変有り難い処置でした。

何をさておいても、一乗谷城の一番の特徴はこの「畝状連続竪堀」なのです。これが十分見えないのでは何のための山城か、と思っていました。

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城跡は、山上御殿群の千畳敷、宿直、観音屋敷、赤渕神社等々があって尾根線の一ノ丸、二ノ丸、三ノ丸へと続きます。三ノ丸まで来ると、写真の案内板が目に入ります。「千畳敷にもどる。気をつけてお帰り下さい」とあります。
しかし、見学道はさらに奥へと続き、三ノ丸の最奥部、水準点のある曲輪まで行けるのですが、何故、ここで「お帰り下さい」なのでしょうか。

この案内板はやめて、一番奥に持っていくべきですね。

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三ノ丸下の畝状連続竪堀です。西側の面にあります。ここも下草を刈って、積年の枯れ枝やゴミなどを取り払った結果、このように大変見やすい状況になりました。畝状竪堀は、三ノ丸周辺をほぼ全周しているのですが、見せ場を作るという意味では、この程度でも十分かな、と思います。二ノ丸との間にも一部で畝状竪堀が見える場所があります。

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宿直跡は、山城の中で一番展望がきく場所です。写真のような案内板、説明板ができて実に楽しくなりました。展望所にはなくてはならないものです。

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宿直からの眺望です。手前に八地山、向こうに文殊山がみえます。真下には一乗谷の上城戸と西新町の集落が見通せます。
今回、下見で登りましたが、当日の見学会も大変楽しみです。
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COMMENT 4

midorishako  2014, 09. 18 [Thu] 16:17

畝状連続竪堀

すごくよく整備されていますね。
看板も新しくて立派です。
草も刈ってあって、見やすそうです。

まだ、一乗谷城は登ったことがないので、機会があったら是非登ってみようという気になりました。

さて、文の中で強調されている「畝状連続竪堀」ですが、以前見学した東氏の篠脇城にも竪掘がありました。朝倉氏が奥美濃を攻めたということはありましたが、朝倉氏と篠脇城と何か関係があるのでしょうか。

篠脇城の復元模型の竪堀が印象深かったので。

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城歩きマン  2014, 09. 18 [Thu] 23:12

midorishakoさん、コメントありがとうございます。

一乗谷城の大きな特徴は畝状竪堀です。昔からいろいろと議論があって、この畝状竪堀については因縁があります。

美濃の篠脇城にも畝状竪堀があって、きっと朝倉氏が関係している、という話がまことしやかに話されていましたが、大きな誤解です。

朝倉氏が攻めても落ちなかったのが篠脇城で、そこにこの畝状竪堀があった…。だから、朝倉氏がこれを真似た――?

城歩きマンはこのことをずっと追求しています。今度一緒に一乗谷城に登りましょう。

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闘将!刑部  2014, 09. 19 [Fri] 00:34

私が初めて一乗谷城に登ったのは、小学高学年で父と一緒に、山の上に城跡が本当にあるのか?ということで登ったことでした。
その時に登ったコースは、正しく谷(川沿い)でごつごつした石とか岩を乗り越えていった英林塚コースで、父は"ヒヤーまだ登るんけ?"といいながらも登った思い出があったのですが、城歩きマンさんが載せられている通り、先の災害で土砂埋めとなっていて通行止めとなっていて、私個人としては面白いコースだと思うので残念に思います。

話は変わり、篠脇城跡と朝倉の関係ですが、朝倉氏が畝状を構築(改築)したかどうかは疑問があります。
篠脇城跡に訪れた時に目にされた、あのでっかい畝状の数々には圧倒をされたかと思います。
(ワーイと上り下りを繰り返していたのは、私だけでしょうか(^^))

まず、一乗谷城と篠脇城の畝状の造りが違います。
どちらかというと、飛騨地方にある畝状で有名な広瀬城とかの方に似ているのではないかと思います。
ちなみに、飛騨地方の城には畝状がたくさんと構築された城があり、郡上郡には篠脇城と二日町城の2つの城しか構築されていません。
推測ですが、どちらかというと飛騨の方から影響されて構築されたのでは?と私は思います。

To.midorishakoさん

 一乗谷城はまだ未発掘調査ですが、原型を留めた山城だと思います。
是非とも、戦国城下町復原跡地と併せてゆったりとそしてまったりとした時間をお過ごしに来られますようお越し下さいませ。
 畝状を楽しみたいのであれば、(他の山城と同じですが、)木々の葉や草が無い時期に(といってもこちらは降雪がありますので、3月がベストなのかな?)
一乗谷山でヒィーヒィー言いながら登って下さい。(^^)

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城歩きマン  2014, 09. 19 [Fri] 08:49

闘将!刑部さん、コメントありがとうございます。

篠脇城の畝状竪堀と、一乗谷城の畝状竪堀が違う、というご意見に同感です。
篠脇城のを、朝倉氏がまねたこともあり、かなと思っています。まだまだ追跡調査の余地はありますが、今回下草が刈られていたので、何ヶ所かの畝状竪堀が大変見やすくなっています。

こうした場所にも、ちゃんと説明板があるとなお良かったのですが…。

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