加賀市大聖寺城の発掘調査について

先日のことですが、石川考古学研究会のブログで大聖寺城の現地見学会があることを知らせていました。しかし、期日が6月3日で気がついた時にはすでに遅しで、見に行くことは叶いませんでした。
大聖寺城は昨年から保存と整備のための調査が開始されたとのこと。今回はその一年目の調査の成果を一般公開するために実施されたようです。ぜひ見に行きたかったのに…。大変残念です。
大聖寺城は、県境に近いこともありますが、越前の朝倉氏と大変関係が深く、加賀一向一揆との戦いで大聖寺城が合戦の舞台になったこともしばしば。近くには津葉城や南郷城、金吾ヶ城、勅使館、敷地館等々よく知られた中世の城館跡が数多く遺存している土地柄でもあります。また南北朝期の畑六郎左衛門時能の館跡とされる畠城や、山岸氏館そして少し離れますが、鶴来町の林六郎光明館などもあります。
朝倉氏の総帥、金吾宗滴はこの大聖寺付近で一向一揆との戦いの最中に病を得て、急遽、一乗谷に戻ることになりますが、治療の甲斐なく亡くなってしまいます。弘治2年(1556)9月のことです。この時に一揆勢が立て籠っていた城が大聖寺城でした。その後天正年間には柴田勢、慶長5年には前田利長がこの城に入り、元和の廃城令によって処分され、城山は入山禁止になったようです。
今、発掘整備が進む金沢城の築城過程を探る上でも、重要な位置を占めるといわれていて、今後の調査の進展が大いに期待されるところです。
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