ふるさと福井の歴史と文化財にまなぶ(福井新聞講座)現地学習会実施!

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平成26年10月23日(木)福井新聞講座「ふるさと福井の歴史と文化財にまなぶ」の現地学習会を無事終了しました。
下見で、予定コースや面白そうな場所を前もって見ていましたので、滞りなく順調にスケジュールをこなすことができました。
学習会に参加された受講生の皆さん、お疲れ様でした。

さて、この現地学習会は集合場所になっていた福井城跡を皮切りに北ノ庄城跡、幕末の偉人関係の邸宅跡や、市街地中心部、特に足羽川にかかる幸橋周辺の旧跡、遺跡を約2時間かけて巡り歩いたのですが、自分で説明しながら、改めてすごいな、立派だなと再確認したのは福井城跡天守台の石垣でした。

編集_2012_0416_111727-DSCF0660 - コピー2012.4.16撮影(福井城跡の天守台)
御廊下橋から天守台への通行は、現在、山里口門跡の復元工事のために禁止になっていますが、地元産出の緑色凝灰岩(笏谷石)の切石による石垣積み。布の織り目のように横線をきれいにそろえる布積み。
この積み方は、本丸部分すべてに採用されていて、遠くから眺めてもまことに美しく、きれいに整った「石垣美」を現出しています。

編集_023 - コピー2012.4.16撮影(福井城跡天守台)
この石垣は天守台に来るとさらに、一回りも二回りも大きな切石に変わっています。
昭和23年(1948)の福井大震災による被害によって天守台石垣の一部が大きく崩れ、沈下していますが、概ね石垣積みの全容を観察することができます。

編集_028 - コピー2012.4.16撮影(福井城跡大天守入口)
大天守の入口付近の石垣列や基礎部分の礎石列が確認できます。いずれも笏谷石をふんだんに使って、礎石にまで使用している様子が分かります。

最近の福井城跡を紹介している本や雑誌では、本丸部分の内堀や石垣だけしか残っていませんが、その遺存度もさることながら、四重五階の天守閣の規模の大きさや福井城全体の縄張りが、徳川政権下の親藩大名とはいえ、御三家にもひけをとらない規模と内容を誇っていた、というような論調に変わってきています…。

そうした福井城跡の本当のすごさ、と言ったものに少し触れえたのではないかナ、と感じ入った次第です。
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