広島県内の城郭めぐりの旅(その4)

広島県内の城郭めぐりの旅(その4)
12県外研修(広島)
2日目:安芸高田市歴史民俗博物館・吉田郡山城跡
広島城を見学した後、いよいよ今回の旅行のメインエベント、吉田郡山城跡に向かいます。

14県外研修(広島)
広島市内から国道54号にのって、一路北へ。途中、車窓の左手には夏に集中豪雨で被害のあった広島市安佐南区、北区の山や団地の街並みが見えました。

13県外研修(広島)
当時の被害の悲惨さを物語るように、斜面にはいく筋もの土石流の跡が今も痕跡をとどめて、茶色の傷跡を見せていました。山裾から中腹まで、住宅が横一列にびっしりと軒を連ねていて、遠くから見ると白い住宅街が浮かんでいるようにさえ見えました。

広島城から1時間ほどで安芸高田市の郡山城跡に到着。さっそく夏に広島城で講演をしていただいた0さんと合流し、安芸高田市歴史民俗博物館のご案内をしていただくこととなり、館内の展示を見学しました。

15県外研修(広島)
現地の山城見学を優先し、少しでも時間を確保する意味で、館内の見学は必要なものだけにして、取り急ぎ、2回の歴史コーナーを見ることにしました。郡山城跡の地形模型を見ながら、築城の変遷について、大まかな流れを聴くことができました。

郡山城のある旧吉田町は高田郡にあり、中世には東国から地頭として入れ代わり武将が入部しましたが、その中から戦国時代には毛利氏、宍戸氏、高橋氏などが国人領主として成長し覇を競い合いました。

その中から毛利氏が吉田荘を根拠地として台頭し、元就の時に中国地方一円に勢力を拡大するほどの大大名になりました。

15安芸高田市吉田歴史民俗資料館パンフ
資料館での説明の後、ちょうどお昼の時間になりましたので、博物館のすぐ近くにある「御里茶屋」で遺跡の名物弁当になっている「元就弁当」を食べました。
一乗谷朝倉氏遺跡にも「孝景膳」や「義景膳」と称する弁当があり、遺跡内の食堂で食することができますが、ここ吉田郡山城でも毛利氏の基礎を築いた元就の偉大な功績に因んで、その力にあやかろうという趣旨で、「元就」弁当が考案され、こうして見学客のために振る舞われているのです。

出される料理は戦国時代の食事内容を基本とし、元就さんが好物であったものや食事の献立によく使われたものをアレンジして、現代の我々の口に合うように調理していると言います。
実際、なかなかの味でデザートに添えられた甘味のおもちは大変元就さんが好んだものと言うことで印象に残りました。

元就さんと言えば、「三矢の教訓」がたいへん有名ですが、わが一乗谷朝倉氏には「孝景条々」や朝倉宗滴の「宗滴話記」があって、この時代、一族や身内に家訓や訓話を書き残すことが流行ったようです。

新しい話題では「百万一心」という元就さんにまつわるエピソードを聴くことができました。恥ずかしながら、城歩きマンはこの話を聴くのは初めてでした。郡山城の石垣普請にまつわる「ひとばしら」伝説です。

元就さんがひとばしらはダメだと言って、代わりに「百万一心」と彫りこんだ石を埋めさせて石垣工事が成功した、という話です。これもよくある話ですが、元就さんの人となりを知る伝説ですね。

15吉田郡山城跡案内図
地元の珍味を賞味した昼食も済んで、いよいよ山城に登る時間となりました。
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