広島県内の城郭めぐりの旅(その5)

広島県内の城郭めぐりの旅(その5)
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2日目:吉田郡山城跡
安芸高田市吉田にある郡山城跡を見学しました。その昔、30年も前に、広島県帝釈峡洞穴遺跡の見学の帰りにこの城跡へ立ち寄ったことを覚えているのですが、どうやって見学したか、実際山に登ったかどうかさえはっきり覚えていません。
中国自動車道が開通したばかりのころでもあり、アチコチの遺跡を、暇にまかせて車で走り回っていました。

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その後は広島にはトンとご無沙汰で、今回はいわば、初めての見学、と言ってもいいような旅になりました。
広島のOさんのご案内で、昼食をとった「御里会館」の奥の大通院谷の駐車場から歩いて登ります。しばらく歩くと、道のわきに大通院谷の発掘調査で検出された礎石建物の一部が復元展示されていました。

さらに奥に進むと、元就さんの墓所(洞春寺跡)へ通じる山道となり、うっそうとした杉木立の道をユックリと登りました。道々、Oさんから元就さんは戦時中、軍神として崇められ、軍国主義の高揚にいろいろと利用された、というショッキングな話を伺いました。

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さて、この元就さんの墓所の脇からさらに細い山道に進むと、山城への本格的な登山道になりました。ちょうど城跡の西側の尾根道にあたります。おおよそ30分ほど歩いたでしょうか、本丸の直下にあたる「釣井の井戸跡」下に出ました。足元を見ると「本丸へ」と彫った道標が見えました。

その急な斜面をよじ登るようにして「御屋敷跡」「二ノ丸跡」、そして「本丸跡」へと進みます。本丸は標高402mの山頂部に位置します。最奥部は高台となっていて、櫓が設置されたものと思われます。その東側一段下に二ノ丸が位置します。

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本丸や二ノ丸のまわりには石垣が見られます。石垣とはいっても高石垣ではなく、二ノ丸と三ノ丸の間では廃城の折に石垣を崩した残骸がそのまま残されていて、それがかなりの範囲に広がっています。

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入口は食違い虎口とまではいかないまでも石塁による通路を設けて、その奥に折れをもつ構造となっていました。また二ノ丸や三ノ丸にはイノシシが荒らした跡が随所にみられ、そのせいで、土が掘り返され、瓦片が多量に出土しているそうです。

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時期的な編年からすると織豊期にあたるそうで、輝元さんの時代に広島城が築城されて、そちらに移ったと言われてはいますが、この郡山城も引き続き修復が加えられて使用されたのではないか、とOさんは説明していました。

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本丸を下りて、元就さんの時代の初期のころの居城であった「本城跡」に寄りました。こちらは郡山城の一部になっていて、南側の支尾根、標高293mの山頂部にあります。いくつかの曲輪を連郭式に並べた簡素な造りで、主郭には三重の堀切、土塁、段曲輪、腰曲輪が巡ります。

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ここまで見学して、山を下りました。その後、郡山城の近くにある支城のひとつ、多治比猿掛城へ立ち寄りました。
多治比川を西に遡り、約5㎞ほど行くと県道6号線南側の丘陵上にみえます。元就さんとその父弘元さんが隠居後に居城した城といわれています。

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Oさんはこの城にも畝状竪堀が実際に確認された、と大変うれしいご指摘を頂きました。島根の出雲や石見はもちろん、岡山の備前、美作、そして広島の備後までは確認される畝状竪堀の山城が安芸にはない、ということになっていましたが、むしろ毛利氏の城にはない、という理解でした。

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しかし、多治比猿掛城のように毛利氏の直接の手にかかる城にも畝状竪堀が確認された、というので大変すばらしいことだと城歩きマンは広島に来た‘甲斐’があったと、ひとり、喜んだものです。
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