広島県内の城郭めぐりの旅(その7)

広島県内の城郭めぐりの旅(その7)
3日目:吉川元春館跡、万徳院跡
32県外研修(広島)
広島県内の城館めぐりの旅、まだまだ続きます。

大朝の鳴滝温泉を出たのは午前8時30分でしたが、吉川元春館跡の「戦国の庭 歴史館」に着いたのは30分足らずで、やはり、まだ9時前でした。

33県外研修(広島)
広島城博物館と同じようにここでも開館するのを待って、しばらく館前の公園内を散策。脇にある一段高い河岸段丘の台地の上に、どうやら館跡が整備されているようです。高台の北側裾に志路原(しじはら)川が東流していて、その河川によってつくられた段丘の上に居館は立地しています。

34万徳院跡パンフ北広島町教育委員会パンフレットより
9時に早速入館、館長さんの説明を聴いた後ようやく高台にある遺跡を見学。
この元春さんの居館は天正11年(1583)頃、家督を長男の元長さんに譲った後、隠居所として建てた館だと言われています。

平成6年(1994)から国の補助金を受けて、5ヶ年事業として発掘調査が実施されています。ほぼ敷地の前面が調査され、館の規模や構造が詳細に明らかにされています。次の見学地になっている万徳院跡も全面発掘調査が実施され、館跡の史跡整備が行われて、屋敷の全貌が実地に歩いて見ることができるようになっています。

広島県はこうした毛利氏や吉川氏など、中世、戦国時代に安芸国を中心に活躍した守護大名、戦国大名などの武将の歴史を明らかにするため、「中世遺跡調査班」を独自に設けて発掘調査、整備事業を推進しました。
その結果、広島県内の多くの中世~戦国時代の城跡、居館跡、寺院跡などが国史跡の指定を受け、史跡整備が次々と実現しました。

草戸千軒町遺跡が川底に埋もれた中世の町、日本のポンペイと言われて、保存が叶わなかったことへの反省かとも受け取れるのですが、その後の中世~戦国時代の遺跡の調査・整備の処置は目をみはるばかり、素晴らしい実績を残すことに成功しました。

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そんなことを思いながら、資料館のある平地から比高差約8mの高台に登ります。辺り一面、石垣の土塁がほぼ南北に一直線に伸びていて、その中央に平(ひら)虎口の門跡が見えます。
館跡は面積約1.5ha、間口約110m、奥行き約80mの不整形の敷地につくられ、常御所、殿舎、会所、庭園、台所、井戸等々が配置されていたことが発掘調査の結果分かっています。

現在、遺構がよく遺存していた台所の建物が復元されています。また庭園も護岸の石組が復元されて、整備された居館跡の景観に一種のメリハリをもたせています。
館跡の奥には元春、元長さんの墓所とふたりの菩提寺である海応寺跡があります。

遺構としては、やはり館の正面に延びている石垣積みの土塁が大きく目立っていました。割石によって6~7段に積まれ、3~4mおきに巨石を用いた立石がリズミカルに配置されているのがとても印象的でした。現状で約3.2mということですが、上部の転端石、土塀、土塀の屋根などを復元すると4~5mにはなると思われ、随分と高い石垣だなあと感心させられました。
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