大聖寺城本丸跡の発掘調査について(その2)

大聖寺城本丸石碑大聖寺城本丸石碑
6月28日(木)グッドタイミングで時間が取れたので、最前から気になっていた加賀市の大聖寺城へ行くことにしました。天気は朝からスカッと晴れて夏の日差しが照りつけていて、山歩きには少しきついかなとも思ったのですが、せっかくの機会なので思い切って出かけることにしました。
大聖寺城は加賀市街地の西方にあって、標高約70mの錦城山の山頂部一帯に位置しています。錦城小学校と加賀聖城高校のグランドのあいだの山裾が「駐車場」兼登城口となっていました。
道は階段が続く急な坂道でしたが、道幅も広く、谷道なのでそんなに辛い印象はありませんでした。鐘が丸の西側一段下に畝状連続竪堀がある、と縄張図に出ていましたので、実際に図の位置まで降りてみました。そして、やはり、それらしき浅い竪堀が数条斜面に並んでいるのが確認されました。この点の考証は後日に回すこととします。
ここからいったん道を戻って、番所屋敷のところを右に折れて本丸に向かいました。本丸では加賀市の職員さんが発掘調査を行っていました。6月3日の現地見学会からは大分時間が経っていましたので別の場所でやっていると思っていたのですが、本丸虎口の部分の補足調査をやっているとのことでした。
大聖寺城本丸発掘現場大聖寺城本丸北虎口の発掘調査
大聖寺城は太平記に出てくるのが初見ですが、本格的な城作りが行われたのは、戦国時代の一向一揆に際して越前朝倉氏に反抗して戦った、反朝倉勢力と一揆勢によるものだろうと思われます。
天正年間には柴田氏がこの城に拠り、慶長年間には関ヶ原の合戦に絡んで前田秀長が山口氏らを攻めて落城させています。最後は元和元年の一国一城令により廃城となり、入山が禁止されることになりました。また麓には大聖寺藩の藩邸が建てられました。
今までほとんど城跡には手が加えられず、市民公園としてアスレチックなどが置かれ、ハイキングコースにもなっていました。しかし、今後は自然と史跡を兼ねた文化的な公園として整備の手が加えられていくということで、新しい城跡公園が誕生するものと大いに期待されます。
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