広島県内の城郭めぐりの旅(その8)

広島県内の城郭めぐりの旅(その8)
3日目:万徳院跡
広島県内の城郭めぐりは今回でようやくブログアップです。

35県外研修(広島)
元春さんの館跡から北の方角に林道を進むと、約2㎞で万徳院跡に出ます。実際、歩いていると時間がなくなるので、今回はバスで迂回路をとって、直接、万徳院跡のガイダンス棟のある駐車場に向かいました。
万徳院は、先日も書いたように元春さんの息子、元長さんが建立した禅宗の寺院で、元長さんが亡くなると、元春さんの弟広家さんが改修して菩提寺として供養したといいます。そして、吉川氏が出雲、周防に移封となって、この寺院は廃寺となります。

36県外研修(広島)
万徳院のある北広島町舞綱(もうつな)は、もと千代田町でしたが、元春さんの館跡のある豊平町とともに、今日まで大きな開発工事もなく、自然景観とともに遺跡が長く守られ、遺存度は極めて良好です。
ガイダンス棟の中で、万徳院の概要について復元模型を見ながら説明を受けたあと、いよいよ現地の遺跡見学に向かいました。

ちなみにガイダンス棟は、発掘調査で明らかになった万徳院の本堂跡を実物大で復元したものです。そこまでやるなら、なぜ、現地に建てなかったのか、と疑問に思うのですが、それはきっと一乗谷の朝倉館と同じように、遺跡の建物跡等の遺構はあくまで、遺構であって、復元できる一級の資料とはいっても、復元建物が正しいかどうか十分な時間をかけた検証を経ないと、過ちを犯す危険性が高いということがあったと思います。

そして、一度つくられたイメージはそれを修正するのに大変な労力と、これまた長い時間がかかるということが指摘されています。

37県外研修(広島)
朝倉館の復元も費用がたくさんかかる事もさることながら、こうした事情により現在も研究途上にあります。
万徳院の本堂もしかり、でしょう。現地に建てずにガイダンス棟と控えめに位置付けるならば、当時の寺院の様子を偲ぶよすがということで済ませられるのかな、と城歩きマンも納得できます。

ガイダンス棟の裏の北側が長い参道になっていて、200mほど歩くと石垣づくりの土塁の門に辿りつきます。土塁の横幅=屋敷の間口はおよそ70m、奥行きは45mほどです。そのなかに先ほどお話しした本堂や庫裏等の建物跡、奥には塀を伴う小庭、風呂屋跡、左手には山から水をひいて池に落とす石組の庭園があり、石で組んだ中島を中央に配し、池尻の水は東側の石垣を暗渠で潜って外に排水しています。

この石組の庭園から、法華経の版木が2枚出土したそうです!

法華経と言えば、広島県の廿日市宮島、厳島神社にあの有名な平清盛が奉納したという国宝の法華経が知られています。また法華経「版木」では、ネットでちょっと調べましたが、同じ時代のものとして、山口県文書館に「興隆寺法華経全8巻版木」があるそうです。国の重要文化財に指定されています。大内氏がつくらせたもので「文明十四年(1482)壬寅五月日願主宥淳」の刻銘があります。

38県外研修(広島)
また、広島県の重要文化財にも法華経版木があり、こちらは三次市吉舎(きさ)町の歴史民俗資料館に収蔵・展示されています。永禄9年(1566)小早川隆景が仏通寺に寄進したもので、その後末寺の能引寺に移されたといいます。

更に尾道市にも県の重要文化財に指定されている法華経版木があり、市内の浄土寺宝物館に収蔵展示されています。
このように、伝来する法華経版木はいくつかあるのですが、こうして遺跡からそっくり出土するものは先ず稀有なことと言ってよいでしょう。よくぞ見つかったものです。

城歩きマンは、現役時代に遺跡の発掘に従事して、焼け焦げた書物の断簡や木札などを発見し、大変感激したことを覚えています。普通なら燃えたり、腐食してしまったりで、後世に残らない、残りにくいものですが、池の底から完全な形で出土するのは、確率的にはあるか、ないかでうーんと低いものです。

34県外研修(広島)
万徳院のものも誰かが寄進したものでしょうか…。そんなことを考えているうちに、見学時間が過ぎて帰路に向かうこととなりました。
今回の広島の城郭めぐりは、集中的に毛利関係で絞った城跡の見学になりました。その分、じっくりと毛利の城館群を堪能することができました。

案内を頂いたOさんや、各博物館の館長さん、学芸員さんに感謝したいと思います。ありがとうございました。
スポンサーサイト

COMMENT 0