2014年を振り返って――城歩きマンの城めぐり(2)

2014年を振り返って――城歩きマンの城めぐり(2)

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3月28日(金)には、実態はよく分からないけれど、とても興味がもたれる城跡のひとつだった安戸の天城に、ついに登城することができました。結果は城跡を見つけることができず、登城、ということにはならなかったのですが、伝承に言う寺院跡だった可能性が限りなく強いことを確信しました。

旧白山村中津原の徳泉寺が、はじめ、この地に建てられたとされています。寺伝には応仁2年(1468)朝倉左京徳泉という人が加賀からこの地に移って一宇を建立したといいます。現地は、緩やかな起伏の伴う山頂部の平坦地がいくつかあって、いかにも寺院跡らしい地形を呈していますが、灌木に覆われているので、小字名にいうような「城ヶ平」「清水ヶ平」「大仏」等のあとは確認できませんでした。

今後も踏査を続ける必要がある遺跡だと思いました。

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4月1日(火)は越前町厨と熊谷の境界にある厨城跡を踏査しました。
最初、熊谷側から車で城跡の麓近くまで接近しようと、林道を登ったのですが、林道は道が狭く、途中には崖が崩れて、土砂が道を蔽っているところがあり、通行できませんでした。仕方なく、登り口まで引き返して、結局、歩いて登城するハメに…。
その意味でも思い出深い登城になりました。

城跡は山頂部の主郭を中心に、円郭式に曲輪が取り巻く山城で、東側と西側斜面に2~3条の畝状竪堀が刻まれています。
築城主は南北朝期の新田義貞や斯波高経の名が挙げられていて、戦国時代にまで降るような記述は残っていません。しかし、現地で遺構を見る限り、戦国時代に修復、造り替えらていることは明白です。

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4月8日(火)越前町の大谷寺城を踏査しました。
中世山岳寺院大谷寺の名で有名なお寺ですが、地元の教育委員会の調査でこの寺院跡が山城遺構を残している、というので登ってみることにしました。

山岳寺院が山城跡だった、ということはそのほとんどが事実のことで、県内の平泉寺や豊原寺や文殊山、三峰寺、岸水寺などが挙げられます。
この大谷寺も泰澄さんの開基による白山信仰の古刹で、中世には延暦寺末として越前では一大勢力を誇りました。ですから平泉寺や豊原寺と同じように多くの僧兵を抱えて、寺院全体に城塞が構えられていたとしても何の不思議もありませんが、今までこの点に関する遺構の確認はなされていませんでした。

しかし、旧朝日町教育委員会の調査によって、寺院跡もあったとして報告がなされ、現越前町でも引き続いて研究が進められているやに伺っています。城歩きマンも実際、現地でこのことを確認しました。今年の大きな成果のひとつです。
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