阪神・淡路大震災と法土寺遺跡

編集_法土寺遺跡案内板福井市法土寺遺跡発掘風景(1996.7.21若越城の会北村氏撮影)
平成7年1月17日未明、阪神・淡路大震災が起きました。福井では震度5だったか、と記憶しています。
突然、グラグラっと揺れて目が覚めたことを今もはっきりと覚えています。どこで地震が…。

震源地は淡路島の北、地溝帯が走る線上で起きたとのこと。震度7を記録し、新聞やテレビなどマスコミが次々と被害状況を伝えていました。20年目の追悼式が現地でしめやかに行われたとのこと。被害に遭われ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

城歩きマンは、その頃、福井市の法土寺遺跡という中世の城館跡(当初は寺院跡と目されていた)を発掘調査中でした。

編集_法土寺遺跡全景福井市法土寺遺跡の現地案内板(1996.7.21若越城の会北村氏撮影)
この大震災のことが報道されるたびに、城歩きマンは震災の被害の大きさを思い出すと同時に、法土寺遺跡での発掘調査の記憶が蘇ります。

早いもので、あれから20年も経ったとは…。
同じ年に地下鉄サリン事件も起きて、私事ながら自宅を改築した年でもあり、この年は城歩きマンにとってとても印象深い、忘れられない年になっています。

法土寺遺跡は当初、名前の印象や現地の踏査状況から中世の大寺院跡だと思われていましたが、発掘調査によって、古代の一大古墳群であり、さらに中世の堀、土塁をもつ巨大な寺院と重なる居館跡ではないか、と考えられる遺跡へと評価が進展していった遺跡でもあります。

当時、地元のマスコミでもこのことがいろいろと取り上げられて、話題にもなりました。
今、発掘調査の報告書も刊行されましたが、歴史的な評価は行われていません。城歩きマンにも大きな責任があります。

福井平野の北西部、丹生山地に抱かれ、九頭竜川を眼下に収める高台の居館跡を福井の中世のあゆみの中で、どのように位置付けられるのか、法土寺遺跡はその大きなカギをにぎる、重要な遺跡のひとつだと城歩きマンは考えています。
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