阪神淡路大震災と法土寺遺跡(その2)

阪神・淡路大震災の時の思い出について、続きを書きたいと思います。

大震災の時の思い出として、私たち、考古学に携わるものが忘れてはならないことがあります。それは、震災で大きな被害を被ったことももちろん、忘れてはならないことですが、その後の復興に絡んで実施された、神戸の街の区画整理事業とそれに伴う地下遺構の事前緊急発掘調査でした。

多くの民家が倒壊した長田区を中心にした地域は、古代の遺跡がたくさん残っている可能性がある、というので事前の発掘調査をすることになったのですが、なにせ、復興は一日も早い着工が神戸の市民をはじめ、全国民の願いでしたから、十分な時間をかけて、などと言ってはいられない状況がありました。

そこで取られた方策は神戸市や兵庫県の考古学関係者だけでなく、全国から職員の派遣を募り、人海戦術によって、短期間で発掘調査を進めようということでした。
もちろん、福井県からもこのための応援要員が派遣されました。半年、一年をかけて発掘調査に従事し、全国から集まった職員さんたちは決められた範囲を指示に従って発掘しました。このときの事態の流れは全くスムーズで、誰も疑問や反対を唱える人はいませんでした。みんなが一丸となって、この困難な事態を協力し合って乗り切ろうという気概に満ち溢れていたように思います。

全国から考古学の専門職員が一堂に会して一緒に作業する、というような事態は過去に事例がなく、全く初めての体験でした。
もっとも、戦後の一時期、静岡県の登呂遺跡を全国の大学から考古学の研究者が集まって、発掘調査をした、という事例がありますが、こちらは学術目的の大規模調査でしたから、少し意味が違ってきますが、いずれにしてもこの登呂遺跡以来の大きな出来事でした。
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