ウアンゴと福井市安居城について(その2)

ウアンゴと福井市安居城について(その2)

そして、極めつけは、道元さんの『正法眼蔵』72番目に「安居」の巻があります。
道元さんは越前の大仏寺で、この『正法眼蔵』を著し、その中の「安居」の一節により、このお寺を拠点とした「安居の制」を確立したい、と思っていたのだそうです。

このあたりのことは仏教の専門的な話になってきて、城歩きマンも俄かには理解できませんので深入りは避けますが、『正法眼蔵』は鎌倉時代の寛喜3年(1231)から建長3年(1253)にかけて編纂された法話集です。

編集_山頂部西側からスポーツ公園を臨む022福井市鑓噛山城跡から安居城方面(北)を望む
別に「安居」という地名について『日本地名大辞典 18福井県』(角川書店刊)を調べますと、「安居郷」(あごのごう)で出ていました。
鎌倉時代から戦国時代にかけて、古文書にもみえる地名で、安居御厨、安居保とも呼ばれました。鎌倉時代の古文書、「讃岐局藤原寿子処分状案」嘉元3年(1305)7月26日付に「あしハの安居郷――」と出てくるようです。

安居郷は安居荘と一体のものと考えられていて、伊勢神宮の所領です。地理的には丹生山地のうち、未更毛川、志津川、日野川などが合流してくる場所が安居郷一帯で、いわば交通の要衝にあたります。当時の河川を利用した水運を考えると、極めて重要な地の利を得ている場所だと思われます。

そして、この安居郷のなかほど、金屋集落の山麓部に「弘祥寺」が建てられました。朝倉高景(黒丸朝倉氏2代)を開基とし、別源円旨(べつげんえんし)を開山として康永元年(1342)に建立された臨済宗の禅寺です。
別源さんは京都の建仁寺にも入寺したことのある高僧で、越前出身の禅僧です。のちに朝倉氏の招きにより永正年間に「幻雲文集」で知られる学問僧の月舟寿桂(げっしゅうじゅけい)さんもこの寺に入寺しています。
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