ウアンゴと福井市安居城について(その3)

ウアンゴと福井市安居城について(その3)

編集_021西から安居城跡を望む
「安居城」とは言うまでもなく、南北朝時代に新田義貞さんと斯波高経さんが戦った足羽七城のうちの一つとされ、福井ではよく知られた城跡です。
以来、戦国時代から近世の初めまで、朝倉景健、柴田源左衛門、戸田武蔵守勝成等々城主が次々と交替して居城した重要な城跡と考えられています。

城跡は福井市金屋町と下市町との間にあり、與須奈(よすな)神社と切り通しを隔てた奥にある高台が対象地になっています。そこから西に少し離れて、弘祥寺跡もあります。
歴史によく登場するほどには城跡の遺構は明確なものはなく、台地の突端にある神社の敷地は削平を受けて、城跡としての遺構ははっきりしません。
またその奥の安居城跡の看板があるところには、小さな平坦地があって、中央部東側には虎口ともみられる小土塁が確認されます。

その奥は、形状は不鮮明ながら、丘陵の尾根に向かう斜面にも、いくつか小さな平坦地が作り出された形跡が見受けられます。ただ、曲輪かどうかまでは判別がつきません。最近になって、地元で遊歩道の整備が行われ、あちこちで斜面が削られています。

この城跡は安居の渡しに付属して、通行を取り締まる役所がおかれた簡単な施設だったのかもしれません。そして、城跡は背後の山頂部に築かれていたのかとも思われるのですが、まだ山頂部に城跡があるかどうかは確認されていませんので、予断は禁物です。

安居郷がいつ頃から安居と呼ばれるようになったのか、その起源は定かではありません。少なくとも中世、鎌倉時代には確実に安居の地名があって、伊勢神宮の荘園として既に開けていたことも確かでしょう。
何故、この地が安居なのか分かりませんが、意味は、仏教でいう一定の場所に籠って修行するということなので、この安居の辺り一帯がそれに該当する場所だったのか、とも想像されます。

道元さんの大仏寺(=永平寺の当初の寺名)からは方角も反対の平野の西端部で、距離的にも大分離れた場所になってはいます。西と東で一直線に結ばれた、何やら意味ありげな位置関係です。

土地に特殊な意味を付加する事例は他にもあります。
例えば、一乗谷にある安波賀の「もうこの瀬」です。一乗谷川が足羽川に合流する地点の川際の浅瀬に「もうこの瀬」というところがあって、ここを渡って、向こう岸に行きつけば、現世の罪や災いから逃れられる、という伝承があったといいます。かつて、網野義彦さんが唱えた「公界・楽」の原理です。

ここまで、哲学的な意味合いがあるとは思えませんが、安居郷一帯には何か宗教的な原理が働く土地柄ではなかったか、と思えてならない城歩きマンです。
いろいろと考えていくうちに、安居地区がとても印象深い土地に思えてきて、ひとしお感慨に耽ってしまいました。
スポンサーサイト

COMMENT 2

midorishako  2015, 01. 26 [Mon] 14:28

おもしろい地名

おもしろいですね。
読んでとてもためになりました。
安居を「あご」と呼ぶことからして、おもしろいのに「雨季を避けて一定の地にこもって,修行をする意味だとは知りませんでした。(その場合、「あんご」と読むそうですね)
一乗谷も「安波賀」そのものがおもしろいのに、「もうこの瀬」という地名が残っているのがすごいです。
愛知県にもきっとこのような地名の場所があるのでしょうね。探してみたいです。

Edit | Reply | 

城歩きマン  2015, 01. 26 [Mon] 15:31

midorishakoさん、コメントありがとうございます。

ほんとに偶然でした。テレビを見ていたら、何気なく「ウアンゴ」の言葉が耳に入ってきました。
そこで、ふと気が付いたのがラッキーでした。
城歩きマンも、地名の面白さに目から鱗です…。これからも、いろいろ、地名に注意して――。

Edit | Reply |